先日友人からこんなメールが来ました。「この間テレビを見ていたら紹介されてた本が読みたいんだけど、タイトルを忘れちゃったから探すの手伝ってくれない?」といったものでした。いきなりそんなことを言われても困ると思いつつも話を聞いてみると、近所の書店には無かったので、よく読書をしている私に相談してみたというのです。ひとまずその作品のタイトルを知らないことには探しようもないので、話の内容や表紙の雰囲気などを聞くことにしました。しかし、友人が返す言葉は「表紙は赤っぽかった」や、「作者の名前は難しい漢字だった」など抽象的すぎてあまり参考になりません。せめてどの番組で紹介されていたのかと聞くと、その番組名はちゃんと答えてくれました。
そこで、番組のホームページへアクセスしてみることに。すると番組で紹介したもののページがあり、無事に友人が探す作品を見つけることができました。けれど実際の本の表紙はあまり赤くはないし、作者の名前の漢字も難しくはありません。そのことをちょっと意地悪して聞いてみると、笑ってごまかされてしまいました。
後日大きな書店へ二人で行って目的のものを買いました。実はそれについて調べた時に読んだあらすじで私も興味を持ってしまい、二人で一冊ずつ買って帰ったのでした。
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時のしおり
今日、読書をしていてちょっとだけ気持ちがほっこりするような出来事がありました。
ずいぶん昔に読んで本棚にしまいっぱなしだった小説。久しぶりに読み返そうとそれを本棚から取り出してソファに座って読んでいました。20ページほど読み進めているとページにしおれてしまったピンク色の花びらが1枚はさまっていました。
それを見て、この本を最初に読んだのは公園のベンチだったことお思い出しました。お天気が良くて満開の桜がとてもキレイでした。風はまだ少し冷たかったものの、その時の私はフリースのひざ掛けをして温かい缶コーヒーを飲みながら、お花見客があふれる公園でゆったりと読書を楽しんでいたのです。
偶然その時落ちてきた花びらがはさまったことに気付かず、そのまま読み進めていったのでしょう。時間が経ってそれは押し花となり、時(トキ)のしおりとなっていました。それは、あの時の情景や気持ちをきちんと覚えていて私を懐かしい時間へと案内してくれたのです。
そのしおりはそのままにしておきました。またいつかこの小説を読み返した時にあの時間へと案内してもらおうと思ったからです。もしかしたら今日のこの時間へも案内してくれるかもしれないですね。
有名なはずなのに、知らない人の本
図書館で『伊豆の踊子』を借りました。それだけが載っている本は見つからなかったので、文学集の中の一冊です。普段はめったに足を向けないような、著名作家の本ばかりが並ぶ棚。そこで私は、ある本を見つけました。どうしてその本が気になったのかといえば、作者の名前を見たことがなかったからです。ほかの作家は、川端康成を始め、夏目漱石や芥川龍之介や、それこそ誰もが常識として知っているような、学生のテストに出てくるような名前ばかりが並んでいます。私が気になった作家の本も、そこに並んでいるということは有名なもののはず。でもまったく知らないんです。中を開けてみると、句読点の少ない、いかにも現代とは違った文章が書かれていました。漢字もたくさんありました。今は一文の短いものが多いですから、今の文章に慣れていると、ちょっと読みにくい感じではありました。でも私は迷わず借りました。すごく興味があったんです。有名なはずなのに、全く知らないその作家に。そして家に帰ってからちょっとだけ読んでみたら、中には注釈のついた言葉がたくさんありました。ちょっとだけ、ハードルが高い感じはしますが、心はうきうきしています。読み終わってから、この作家さんについて調べてみようと思っています。
一人の食事は本とともに
今日は自宅に一人きりなので、レトルトのカレーを食べることにしました。普段も料理はしませんが、一人だと、ますますやる気になりません。それでも一応、料理の本を眺めてはみたんですよ。なにか作ってみようかなあって。でも料理の本ってだいたい、一人分の分量って載っていませんよね。人数分で割って計算すればいいのはわかりますが、なんとまあめんどくさい。ま、もともとそんなにやる気はありませんから、やーめた、となってしまうのは当然のことです。ご飯も一人で食べるとおいしくないものです。だからつい、さっと食べることができる食事を選んでしまいます。昨日は目の前にぬいぐるみを置いて、かつ本を読みながら夕食をとりました。普段家族がいたら考えられない無作法ですが、一人ですしね、さみしいですしね。お前はいくつなんだと言われそうですが、慣れない状況はいくつになってもさみしいものです。おかげで読書がすすむこと、すすむこと。ただつい夜中まで読んでしまいます。だめだなあ、本当にと思いつつ、さて今日は何を読もうかと考えているのだから、しょうがない人ですよね、私も。上げ前据え膳の旅行で、母は楽しんでいることでしょう。こっちは早く帰ってきてほしいと、首を長くして待っています。
色んな意見を取り込むための読書
いろんな人の意見を聞くのが好きなので、友達と集まると大体いつも意見交換会のような雰囲気になってしまいます。年齢や性別にかかわらず、一つの物事に対してどう思うかを聞くのが楽しくてしょうがないんです。最近は友達の意見だけでは足らなくなってきたので、著名人の本を読んだりしています。芸能人とか、有名な経済アナリストさんとか、読んでいるとなるほどなと思うことも多いので参考になります。先日読んだ本では、人との付き合い方について考えさせられるものでした。私も良くやってしまうんですけど、「察して欲しい人」って多いですよね。逆に、「察したい人」も居るんだそうです。そういわれてみると、必要以上に察しちゃう人って居るな~と思って友達を察して欲しい人と察したい人に分類してちょっと楽しかったです。今度友達と集まるときにはこの話をして、それぞれどっちに属するか意見交換をしてみようと思いました。色んな本を読むと、こうやって話題も見つかるのでとても楽しいです。でも友達は、私がこうやって色んな本を読んでその大筋を話すので自分で読む必要がなくなって楽だと笑います。自分で読んだほうが絶対面白いと思うんですが、必要とされてるような気がして嬉しくなっちゃう単純なところも私らしいらしいです。
読み終えるまでの期限を決めると集中して読める
本を読むペースというのは人によってバラバラですが、もしも早く読みたいとか思っているのであれば、読み終えるまでの期限を決めてみてはどうでしょうか。そもそも読書はいつまでにしないといけないなどということは決まっていないのですが、期限を決めてみるとそこまでに読まなきゃという意識がはたらいて、読むペースがあがることもあるのです。もちろん、早く読めばそれでいいということではないものの、どうしても期限がないと「またいつか読もう」などと思ってついつい遠ざかって、それをきっかけに読書からも徐々に体が遠のいてしまうというようなことがあるので、もしもそんな自分がそろそろ嫌だなと思っているようであれば、読書をし終えるまでの期限というものを自分なりに決めてみましょう。たとえば今月末までに読むとか、そのくらいでもいいと思います。最終的に多少は前後することもあるかもしれませんが、後半まで読み進んでいれば、そのころにはもう続きが気になってしまっていますので、かなりのハイペースで読むことができるのではないでしょうか。そのような効果もありますので、ぜひとも読書をするときにはこのようなルールのことも考えてみるようにしましょう。
本をすすめるって難しい
人に本をすすめるのって、案外難しいことなんだな、と最近思います。
私は読書好きなので、私の友人にも読書好きの友人がたくさんいます。類は友を呼ぶというやつですね。なので、友達同士であの本が面白い、この本が面白い、といった話もよくするんです。でも、そういう話をしていても、自分のすすめた本を友達が実際に読んでくれることって実はあまりないんですよね。特に、お互いの普段読むジャンルが違っていると、ますます難しいんです。そして自分自身も、よく考えたら、友達にすすめられた本をすぐ読むことってあまりないんです。
本をすすめるということは、どうしてこう難しいんでしょうかね?あらすじや、キャラクターの魅力、世界観の魅力などを伝えても、なかなか読んでもらうまでには至らないのです。やっぱり、この本を読もう、という気になるためには、どれだけ面白いかを説明されるだけでなく、何かもうひと押しが必要なのでしょうか。そう考えると、書店にあるPOPというのは、あれだけの狭いスペースで私達にその本を読みたいと思わせているのですから、すごいですよね。
やっぱり自分の好きな本を友人が好きになってくれたらとても嬉しいですし、これからも友人に本をすすめて行きたいと思っています。どうすれば実際に読んでもらえるか、研究していきたいです。
思い出の読書感想文
小学校の頃の思い出といえば、やはり読書感想文ではないでしょうか。
夏休みの宿題の一つである読書感想文には、毎年毎年苦戦させられた思い出があります。こういうことを言うと、「読書好きなのになんで?」と思われることが多いのですが、読書好きであるということと、読書感想文が上手かどうかということは、別のことだと思うのです。もちろん、読書好きで読書感想文も上手、という人もいるにはいるのでしょうが、そうでない人が多いことも事実です。私もその一人です。面白い本や、感動する本を読むと、確かに心を動かされますが、そのことを言葉にするということは私にとってはとても難しいことだったのです。それでも、宿題である以上書かないわけにはいかず、毎年泣きそうになりながら、あらすじで行数を稼いだりしてなんとか書きあげていました。当時は、毎年夏が来るたびに、「今年も読書感想文を書かなきゃいけないのか・・・」と思って憂鬱になっていました。もう読書感想文を書く必要がない今となっては、もはや良い思い出ですけどね。
しかし人間とは不思議なもので、もう読書感想文を書く必要がないとなると、なんだかちょっと書いてみたくなります。今度の夏は、自分への宿題として読書感想文を書いてみようかな。
本の帯はどうする?
皆さんは、本についている帯ってどうされますか??
私は、本の帯をどうするかで、最近ずっと悩んでいるのです。やっぱり、本好きとしては本は買ったときの姿でとっておきたいので、そうすると帯もそのままつけた状態でとっておくのですが、何度かそのまま読んでいると、だんだん帯がずれてちょっと汚らしくなってしまうんですよね。それで、結局帯を捨ててしまった、ということも何度かあります。例えば「○○先生の最新刊!」と書いてあるだけの帯だったら、捨てることになってしまってもそこまで悔しさはないのですが、他の作家さんや漫画家んさんからの推薦コメントが書いてある帯だったりすると、捨てるのがどうしてももったいないと思えてしまうのです。
だったら最初から外しておけばいいじゃないか、という話なのですが、それはそれで気が向かないのです。とった帯を本に挟むというのもなんだか嫌で、かといって他のところにおいておくと、なくしてしまいそうですし・・・。くだらないことだと思われるかもしれないですが、このような感じで、私は本の帯をどうするべきか最近ずっと悩んでいるというわけなんです。他の本好きの友達にも話を聞いて、本の帯をどうするか、自分の中で答えを出したいと思います。
長編小説の代償
今ものすごくハマっている大河小説があるんです。毎日暇さえあれば読んでいるんですが、なかなか読み終わらない!なので最近の食事は専ら丼モノが多くなっています(^^;)お行儀が悪いのは重々承知ですが、兎に角少しでも読む時間が欲しいし、何より続きが気になって仕方無いので、読書の片手間に食べれるものといったら丼モノとかおにぎりとかパンとかなので、必然的にそういったものばかり食べています。ですがやっぱりながら食いって良く無いですね。食べている事に意識がいっていないので、満腹感が遅くにやってくるのでつい食べ過ぎてしまうんです。なのでこの小説を読み始めてから食べる量が増えた所為か、ちょっと太ってしまいました(T_T)お腹が空いているのも忘れちゃうくらい夢中になってて、ご飯の回数が減った!とかだったら良かったのかもしれませんが、残念ながらお腹はきちんと空くのでご飯は3食しっかりと、けれど量は増えているし、しかも丼モノなんてお米の量も多いのでそりゃ太りますよね(^^;)おまけにご飯以外にもおやつを食べながら読んだりもしているので尚更です。普段おやつなんてあんまり食べないのでしっかりと体に蓄えられています(^^;)そんなに影響が出るとは思っていなかったので、今から必死です(笑)