Category Archives: 小説のメモ

絶版がなくなる可能性

絶版がなくなる可能性

今日、絶版となっている本を、電子書籍で見つけました。長く探していたものだったので、思わず叫んでしまいましたよ。さっそく購入して、読み始めています。古い作品はよほどの人気でない限り、数年もたてば書店には並ばなくなってしまうのが常。気付かぬうちに出版界から消えていて、いざ興味を持ったときには、中古を探すしかない状況になっていることもしばしばです。
それでも最近は、インターネットが普及しているので、自宅のパソコン前で、キーボードを叩けば検索できますから、ずいぶん楽になりました。昔は周囲の古書店を探し回り、お店の人に、入荷したら連絡してほしいとお願いをしたものですからね。しかし電子書籍、素晴らしすぎます。これなら今後、絶版していて本当に手に入らない本というのは、なくなるのではないでしょうか。
そこまで考え、そう言えば、最近は何やら貴重らしい歴史的な資料も、ネット上で公開されているものがあるということを思いだしました。知った当初は、公的機関が無料で見せてくれているの?と、大層驚いたものです。限られた人のみが知り得た情報を、望む人には分け与えてくれるというこの状況は、興味のある人には、とてもありがたいことでしょう。

涙でデトックス

涙でデトックス

最近、古い作品を見て泣くことが増えました。前に見たときは平気だったのに、どうしてでしょう。同世代の友人に聞いてみたら「年齢を重ねることで、涙腺が弱くなっているんじゃないの?」とのこと。確かに年を取ると涙脆くなるとは言いますが、もっとおばあちゃんになってからだと思っていました。びっくりです。
大人になると、悲しいときも我慢して、たとえ目頭が熱くなっても、涙はこぼれないようにしてしまいがちです。しかし本来、泣くことは、デトックスになっていいらしいですね。それを知ったとき、私は、泣くための本を探してみようと思い立ちました。ジャンルはこだわらず、童話や絵本、漫画に小説など、書棚の奥にあるものも引っ張り出しての検討です。
すると、案外たくさんあるんですよ。楽しい話の中にある感動が一番ですが、悲恋や報われない未来も目にしましたね。もちろん、喜びも見つけましたよ。人間、心の底から嬉しい時にも感涙しますからから、これは当然のことですね。しかしストーリーの流れの関係上、たいてい最大の衝撃とセットになっていることが多く、それなりにショックな内容も覚悟しなくてはいけません。ハッピーエンドの前に闇があるのは、人生も小説も一緒ということですね。

割引セールで新作購入

割引セールで新作購入

インターネット上でも実店舗でもですが、時々古書店で、割引セールが行われている時があります。以前、全品20%オフの時は、前から欲しかったコミックスを一気にまとめ買いしましたね。ちりも積もればで、だいぶお安くなるからです。それと同じで、電子書籍のセールのときには、ちょっと興味はあるけれど、買うほどではないかなという作品に手を出します。面白ければ、割引終了後も続けて購入、趣味にあわなければ、残念ながらそこでおしまいです。そう考えると、こういう時は、素敵な話に出会うためのいい機会と言えるでしょう。ただ電子版はいいのですが、紙の書籍を買ってしまうと、困るのが置き場です。今書棚が溢れてしまっているので、そろそろ大幅な整理をしなくてはなりません。しかしいつだったか、大好きな作家さんも同じことを言っていて、みんなそうなんだ、と嬉しくなりました。彼らは資料の本がどんどん増えますから、大変でしょうね。有名な方は、書庫と称して専用のマンションを持っていたり、庭に物置を作っていたりする方もいると聞いています。たまると図書館に献本するという人も、いたような気がしますね。さすが本のプロフェッショナル、やることが違う、と驚いたものです。

新刊と古書リサイクル

新刊と古書リサイクル

インターネットで古書の買取りをしてくれるというサービスがありますよね。それを友人が愛用しています。彼は職業柄、大量の本を読む人です。しかし図書館だと貸し出し期限が決まっているし返すのも面倒だと言って、毎回購入しています。読了後は彼には不要になるので、ある程度たまると箱に詰めて、買い取りサービスに引き取りをお願いするのだとか。わざわざ重い本を運搬しなくていいし、売ったお金は次の書籍を買うときに使えるから、一石二鳥だと喜んでいました。
今はいろいろなところでこういったことをしてくれていますよね。売ったお金は寄付に回してくれるところもあり、それは一度使ったことがあります。古本屋で買ったものには印税は支払われませんから、作家さんや出版社が潤うわけではありません。古書店の方は自分が不利になる取引はしないでしょう。ということで、寄付しても誰も損はしないのです。どうせ一度払ったお金、戻らずともそれでどこかの国の子供達が助かるのなら、それがいいと思いました。
新刊を買って応援したいと思う反面、このようなリサイクルも素敵だと感じてしまうので、どちらで買うか悩んでしまうくらいです。新旧とわず、紙の本と電子書籍がバランスよく市場に出回ればと、ちょっと夢のようなことを考えてしまいます。

小口がばらばらの理由

小口がばらばらの理由

本棚を整理していて気がついたのですが、文庫の小説の小口って、とても揃っているものと、そうでもないところがありますよね。たぶん同じ方法で作っているのにどうしてだろうと不思議に思い、調べてみたところ。「天の部分、つまり上の部分が揃っていない物は紐のしおりがついているタイプで、後から裁断して揃えることができないから」と聞いて納得しました。たしかに揃ってないと思うものには、しおりがついていたからです。なるほど、ここを切ったら困ってしまいますものね。
本は好きで昔からたくさん読んでいますが、こういうことについては考えたことがありませんでした。文庫にハードカバーに雑誌にコミック。書籍の種類はいろいろありますから、トリビア的なものが、まだまだ隠されているかもしれませんね。いっそ、そういうネタを集めた本を出してほしいくらいです。それとも既にどこかにあるのでしょうか。
そういえば、友人が工場見学に行くのが趣味なのだそうです。見せてくれるところは結構あるんだよ、と言っていました。印刷会社の中はどうなっているんでしょう。いきなり見学場所を探すのは大変なので、まずは図書館に行って、工場の本でも探してみようと思います。

父と娘の読書事情

父と娘の読書事情

知り合いに書店の娘さんがいます。遠い昔の子供の頃、毎日たくさんの本に囲まれていられて羨ましいと言ったところ「本は大っ嫌い」としかめっ面が返ってきました。小説一冊、完読したことはないそうです。どうして嫌いなのと聞いても、明確な答えは得られず。でも大人になってから教えてくれました。「だってお父さん、毎日本ばっか読んでいたんだもの」小さい彼女は相手にしてもらえなくて寂しかったのでしょうね。今聞けば、なんともかわいらしいエピソードです。
そういえば、私も昔は父の前で大騒ぎしたものでした。「そんなのばっか見てないで、どこか行こうよ」と、手の中の文庫本を奪い去ったこともあります。たくさんの漢字と小さな文字がいっぱいでいかにも難しそうだったその作品。当時流行りのサスペンス……というのを知ったのは数年後ですが、ずいぶん怒られましたね。うるさい静かにしろ、宿題でもしてろ。いやはや、父親というのも大変です。
ちなみに書店の彼女は、その後読書の虫になりました。反抗期で父親と会話をしなくなったら、どうでもよくなったとのこと。でも今はお互いいい年なので、その年代は脱しています。今は二人並んで、読書兼晩酌タイムをすごすようですよ。本当に、お父さんも大変です。

続かない読書記録

続かない読書記録

先日、有名なスポーツ選手は、ノートに記録をとっているという記事を読みました。練習で気になったことや改善点、数値的なもの等々、気付いたことをとにかく何でも、書きとめるのだそうです。それを後から見返していろいろ考えることによって、見えてくるものがあるのだとか。そこまでの信念というか、情熱ってさすがですよね。尊敬します。
かく言う私は、つけた方がいいと言われている読書記録すら、続きません。本は読むんです。でもそれをいちいちノートに書くのが、面倒なんですよね。ああ面白かった、でいいんじゃないかと思ってしまいます。もちろん知識として記憶すべきことは文字にするんですけど、そちらは直接、ページに記入しているんですよ。本が傷むと気にした時期もありましたが、今は、こうして自分の身になるならと割り切ってしまっています。
必要だとか、ためになるとか言われても、嫌になってしまうことはあるものです。私も心を入れ替えてチャレンジすれば、きっとできるのでしょう。でも、それが苦痛になって、読書が嫌いになってしまっては本末転倒ですよね。「頑張らなければいけない」「やっぱり無理するのはやめよう」と二つの気持ちの間で揺れながら、今日もページを繰っています。

お試し読みで自分の意見

お試し読みで自分の意見

最近はSNSで新刊のお試し読みを流してくれるので、とても便利ですね。お気に入りの出版社さんは、登録しています。毎日決まった時間に見ることができるので、時報のかわりにもなっているんですよ。ネットでちら見せしてくれるなんて、一昔前ならばこんなことは考えられませんでした。本屋に貼られていた新刊一覧や、各社ホームページを梯子して、発売日を確認していたころが懐かしいです。
ただ、インターネットの情報だけに左右されてはいけませんよね。今はちょっとキーボードを叩けば、出版情報のみならず、評価や感想も簡単に見ることもできます。その内容につい左右されてしまいがちですが、人の意見は十人十色。誰かにとっては面白くても、私にとってはそうでもないものもあるし、逆に、その人にとってはつまらなくても、私が読んだら最高だと思えるものがあるかもしれません。何事も自分の目で確認せずに信じることは、ある程度の危険を含んでいるのです。
だからこそ、ちょっとでも先読みできるお試しはありがたいのです。それを見るようになってから、他人の評価に左右されることが減りました。自分が素敵と思えるものを自分で探すことができるのは、素晴らしいことです。

見栄っ張りな本棚

見栄っ張りな本棚

読書好きな私は、人の家に招かれると自然と本棚に視線がいっていしまいます。どんな本を読んでいるのかな?あ、ミステリーがたくさんある。ファンなのかな…。なんて、ついついじっくり見入ってしまうことも。相手も読書好きな人であれば、そこから話が広がることもあります。「この小説はどうだった?」「この作者が好きなの?」なんていう具合に、本の話題ができるととても楽しいのです。
さて、自分がそんなタイプなので、反対に我が家に人を招いたときには、非常に気を使います。自分の本棚がどう見られるのか、必要以上に神経質になってしてしまうのです。上下巻が隣り合って配置されていなかったり、巻数がきれいに並んでいなかったりすると、なんだか「だらしない人」の烙印を押されるのではと気になり、いそいそと並び替えます。
同じ作者を一か所にまとめたり、その中で、本の高さを左から右へ背高いの順に並び替えてみたり。また、話題になりそうな最新の本があれば、一番目につくゾーンに置いてみたり。とにかくあらゆる角度から点検し、「自分の中でベスト」と言える状態にしないと気が済まないのです。普段から、本を出し入れする際に、整理整頓に気を付けていればいいだけなのかもしれませんけれど(笑)。

これまでにない「新しい本」?

これまでにない「新しい本」?

果たして本には読む以外の使い道があるのでしょうか。先日、友人たちとこんな話になりました。私の脳裏に浮かんだのは、「百科事典を枕にして昼寝する」某漫画のキャラクターの姿。でも枕代わりに使われるのではあまりに本が可哀想というもの…(本をつくった人たちもそれを見たら泣いてしまいそうですよね)。
一人の友人がこんなことを言いました。「お腹が空いたときに食べられる本があればいい」すると別の友人が、「それだと本に賞味期限を記載しないといけないね。食品衛生法にも絡んでくる訳だ。それに、従来の書店と取次システムだけでは機能しなくなる。そもそも返品はどうするのか」。うーん、現在の出版業界ではあまり現実的ではないようです。議論は徐々に白熱します。
それならば、と別の友人。「真っ暗な中でライトがなくても読める本があればいい。特殊なインクで文字が印刷されていて、暗闇の中で光るの。」これにはみんな面白い!と絶賛の声。暗闇の中で読み取れるほど光る特殊なインクなんてものがあればですが。そしてそんな印刷技術はあるのでしょうか。それとも実は、この世にはすでにそんな本が存在しているのでしょうか。いいアイデアだと思うのですが。光るインクの本。どうでしょうか。