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名刺とコースターはしおりの代わり

名刺とコースターはしおりの代わり

以前友人から本を借りた時、中に彼の名刺がはさまっていました。いったい何事かと思ったのですが、本人曰く「ほかに紙がなかったから、しおりの代わりにした」とのこと。レシートでもメモの切れ端でもなんでもありそうなのに、あえて、写真付きの名刺を、ケースからだすことを選んだのですね。思わず笑ってしまいました。
しかしそういえば、私も以前、それ以外に手元にないからという理由で、コースターを挟んだことがあります。しかも母手製の布のものなので、ちょっと厚いんですよ。他にも、その場を動くのが面倒だからという理由で、ティッシュペーパーを使った時もありましたね。ただ前者の時は、すぐに別の紙を入れ直しました。コースターを使ったままで、本に変な癖がついてしまったら、残念だと思ったからです。
そして例の友人は、続きのシリーズを貸してくれたのですが、それにも名刺が入っていて、本当に笑いました。だって二冊連続で入っていたということは、彼はわざわざ新しいものを、別の本に挟んだのですよ。せめて前使ったものをリサイクルすればいいのに……と思っても今さらですね。さすがに三冊目には、普通のしおりを使っていましたが、まったく、面白い人です。

イメージを具現化するの映像

イメージを具現化するの映像

「小説はイメージを自分で作るものだから」と言われて、なるほどと納得したことがあります。たとえば映画やドラマなど映像があるものは、登場人物の見た目も声も、場面の在り方も、既に決まっていますよね。しかし文字のみで世界が作られている小説は、そのどれもがイメージにすぎず、たとえば『長い髪の美人な女性』という文字を見たら、読み手の数だけの長髪美人が存在するということになるのです。
これは素敵なことだと思うのですが、一方で、だからこそ小説が映像化されるという時には、いつだって賛否両論が起こるのでしょう。あの人物をこの俳優さんがやるのは、考えている人物像と違う、あるいは、ぴったりだという論争です。万人の希望にそうのは当然不可能な話ですし、あくまで制作側の考えもありますから、これは仕方がないことですよね。
それに逆に言えば、そうやって話題になることで、その作品に興味がなかった人の関心を引きつけるという効果もあると言えるでしょう。商業効果的には、作品を見てもらうことが一番ですから、これはある意味有効な策かもしれません。それに今では、原作とは別の結末を迎えるものも多いですしね。それぞれが別次元と考えれば、二重に楽しめるというのも面白いところでしょう。

ネットの文章が横書きの理由

ネットの文章が横書きの理由

友人に言われて気付いたのですが、日本語で書かれた文章は、書籍ならば縦に読むことが多いですよね。しかしインターネットで見られるものは、横書きになっているものも少なくありません。なぜでしょう。幅はパソコンの画面サイズで決まっていても、縦のラインはどんどん下に伸ばしていけば、いくらでも長くなるため、スクロールが面倒だからでしょうか。でもそれなら、一定の高さを決めてしまうのもありですよね。
本当の理屈は分かりませんが、発展しないのは、たぶんそれほど需要がないからなのでしょう。指摘されたから気にはなったけれど、実際問題としては、私は現状でなにも不満を感じていませんしね。それに、切り替えの機能がついている小説サイトなどもありますから、こだわりを実践しようと思えば、限定された場所に限ってではありますが、できないことでもないのです。
ただ、インターネット上の文章はこのままでいいとしても、たとえば文庫本や新聞が全部横書きだったら、たぶんすごく違和感があるでしょう。英字新聞でもあるまいし、と思うだろう自分を想像して、苦笑してしまいました。そうなると、縦書き横書きの区別は、やっぱり適材適所ということなのでしょうね。

クリアファイルの使い方さまざま

クリアファイルの使い方さまざま

最近、クリアファイルが溜まってきています。いろいろなところで貰うから、いつの間にか集まってしまうんですよね。家電の説明書を入れたり、ちょっとしたメモ書きや雑誌の切り抜きを整理するために使っていますが、なにせ貰いものばかりなので、絵柄に統一性がなく、分かりにくいのが難点です。
しかしそう言うと友達は「外にラベルを付ければいいじゃない」とあっさり述べました。たしかに、見えるところにシールを貼って、中身を書いておけば、そのまま並べても、ずいぶん解り易くなりますね。今までは一枚ずつ出して内容物を確認していたので、それはかなり便利そうです。さっそく棚の手前側にくるところに、小さなシールを貼りました。
その他、友人はこれで、書棚カバーを作っているようです。ファイルを切り開いて、棚の手前部分に垂らすのですって。要は簡易の扉がわりですね。絵柄を選べば目にも楽しいし、埃も入らなくなるし、一石二鳥だと言っていました。私が思いついたのは、素敵な絵柄のものを壁に貼って、飾るくらいのことしかなかったのに、まったくよく考えるものです。さて、まだ十枚ほどは余っていますし、なにか使えるパターンがないか、探ってみましょうか。

ながら読書の結果

ながら読書の結果

仕事に家事に育児にと、大忙しの知り合いが、毎週必ず二枚以上のDVDを見ているそうです。映画ならば一枚最低二時間ほど。それが二枚で四時間となれば、なかなか大変ですよね。いったいどうしてそんな事ができるのかと聞いたところ、DVDは常にレコーダーの中に入れておいて、隙間のちょっとした時間に再生しているのですって。「洗濯物をたたみながら、歯を磨きながらでも見られるよ」と言うので、それはすごい、と思いました。
しかし後者の読書は、私も昔、やっていました。使うのは手だけですから、目は自由なんですもの。この時間を使わない手はないと思ったのです。しかし、後日、それは諦めましたよ。歯医者で衛生士さんに「もっと頑張って磨いてくださいね」と言われてしまったからです。おそらく気持ちが本に向いてしまい、手がおざなりになってしまっていたのでしょう。気付けば確かに長時間はたっている、けれど肝心なところに歯ブラシが当たってなかったのです。
だから知人にも、気を付けてねとは言っておきました。そうはいっても、文字を追わなければいけない本よりは、画面を見ていればいいDVDのほうが、難易度は低そうですけれどね。隙間時間の活用も、ある意味難しい問題です。

日記帳の行く末

日記帳の行く末

本棚を片付けていたら、文庫タイプの日記帳が出てきました。以前まとめて処分したと思っていたのだけれど、小説に紛れたものが、残っていたようです。日付を見ると、どうやら三年ほど前のものらしく、当時何をしたっけ、と考えてしまいました。ページをめくらなかったのは、絶対に恥ずかしい過去が隠れている、と思ったからです。
これは、学生時代の卒業アルバムや、文集を見返す時の恥ずかしさに似ています。子供時代の自分はとても純粋で、大人の私が見れば可愛らしいのだけれども、こんなにことを書いていたのか、と頭を抱えるタイプのものですね。しかも三年前なんて、薄ら記憶が残る時期ということもあり、あいた期間が微妙すぎます。とりあえず、また書棚の奥にしまい直しておきました。
これがあと何年か後には、懐かしいものになるかもしれませんね。そしてもっと遠い未来には、私以外の誰かが偶然見つけて、読むようになったりして。よくドラマや映画でありますよね、おばあちゃんの日記帳が……とか。イメージはそんな感じです。しかしあれはまさに、恥ずかしすぎます。やっぱり締まっておかずに、丁重に処分しておいたほうがいいかしら。どうしようか、しばらく考えましょう。

友人手製のレシピ帳

友人手製のレシピ帳

料理好きの友人が、レシピ帳を作っているそうです。先日彼女自身が入院したからでしょうね。自分に万が一のことがあったら、家族の誰かが料理をすることになる、その時に見てほしいとのことでした。普段彼女以外が台所に立つことはあまりないらしいので、いざというときに困らないようにと考えたのです。
たしかに、包丁を持つ機会が少ない人にとっては、書店に並ぶどんなに簡単なレシピ本でも、難しいと感じますよね。れなりに経験のある人は手の抜きようもわかるけれど、未経験の人はそれもわからないですし、塩少々の『少々』ってどのくらいなの、ってなってしまいますからね。
その点彼女の作っている物は、塩は何回振ること、などと書かれています。容器によって出方に差があると言ったところで、これなら大抵大きな間違いは起こらないでしょう。それとこれが一番なるほどと思ったのですが、作りながら見られるようにと、クリアファイルに収まっているのです。台所という水場と紙は、相性が悪いですからね……それで私も、慣れない頃は、本のページをぐにゃぐにゃにしてしまっていました。このレシピ帳を使わずにすめばいいとうのが、正直なところですが、友人の気遣いは、尊敬します。

今に残る日本文化

今に残る日本文化

以前どこかで、日本の文化が廃れてきている、という記事を読みました。たしかに現代、毎日和服で生活をし、和食だけを食べて過ごしている人は少数派でしょう。利便性から洋服を選び、食の欧米化などは、もうずいぶん昔から言われています。
そこで思いだしたのが、年末の過ごし方です。クリスマスを過ごした後に、大掃除をして、年越しそばを食べて、初詣。なんとも和洋折衷と言いますか、不思議な感じですよね。しかも神社へ赴くのは、年に一度、このときだけという人だって多いはずです。それが良いとか悪いとかではなく、昔の人とは違うのだろうなあと、漠然と感じました。
ですが、これくらいでいいという気もするのですよ。クリスマスやバレンタインを楽しみながら、年を越したりお盆にご先祖をお迎えしたりして、十月にはハロウィンで、ごちゃごちゃになりつつある文化が、私はとても愛おしいんです。だってこれが、世界の中で発展してきた日本だという気がするのですもの。
なんでも変化は訪れます。でも、今の世の中、一色だけに染まりきることは難しいでしょう。だからこそ、多くを受け入れて、大事な物はすべてを消してしまわずに、継承していく。それが重要なのだと思います。

同じ本を複数持っている理由

同じ本を複数持っている理由

昔の小説や漫画が、新装版として再度出版される時、ある程度の巻数がまとめられたりしますよね。私はそれを、とても良いことだと思っています。興味を持って読んでみようと思っても「全20巻です」と言われたら、躊躇ってしまうときもあるからです。でも当時の1・2巻が1冊になって全10巻だったら、最初のハードルは低くなるでしょう。
ただこれにも、短所はあるのですよ。昔のもので持っていても、つい、新装版も欲しくなってしまうこともある、ということです。内容は変わらないとわかっているのに、物によっては追加もなにもないのに、本当に『つい』としか言えません。そのくせ読むときは、慣れた昔の方だったりするのですけどね。
そのため、私の書棚を始めて見た人は、たいてい驚きます。同じ本がたくさんある、というのです。でもこういうことをするのは、私ばかりでもないでしょう。友人は、特典が欲しくて集めた結果、同じ作品のDVDを何枚も持っていますし、ほかには「初版が欲しいけれど、勿体なくて読めないから、次の版も買う」という子もいました。本の帯を集めている人もありましたね。たった1冊の本に対しても、いろいろな考えがあるものだあなあ、と思ったものです。

小さな言葉に親近感

小さな言葉に親近感

本棚に並んでいるコミックスを見て思うのは、大体二種類のパターンがあるなあ、ということです。ひとつは、デザインがほとんど統一されているもの、もうひとつは、文字の配置などは同じだけれど、色合いや一部、描かれているキャラクターなどが違っているものです。最近は、一冊ずつ違う人物がいる場合が多いけれども、昔は、すべて絵柄が繋がっているものも見たような気がします。
もちろん、どちらの方がいいということはありませんよ。どのようなデザインであれ、大好きなコミックスがずらりと並ぶさまは、至福の喜びを与えてくれるからです。ただ、最近はSNSなどの使用により、作家さんと読者の距離が近くなっていますから、「次の巻は何色でまとめようかな」などという言葉を見ると、微笑ましい気持ちにはなります。私達から見れば、特別な人のように思える作家さんたちも、やっぱりそうやって考えるんだな、と思えるのです。
制作者からすれば、そんな当たり前のことを、と感じもするでしょう。しかし通常、完成原稿しか見ていない私には、その日常の一言が、とても新鮮で、親近感がわくのですよ。さて、次の巻は、結局何色になったのかしら。今準備中ということは、少し先には発売ですよね。今から楽しみにしています。