Category Archives: 小説のメモ

並行読書のすすめ

並行読書のすすめ

読書家の友人は、常に何冊かの本を並行して読んでいるそうです。たとえば日中の隙間時間には仕事に関わるものを、眠る前にはエッセイを、休日には小説を読むといった具合ですね。毎日学び、就寝前に心を休めて、休みにはじっくり別の世界に浸ると考えると、実に理に適っていると思いました。
実は当初は、それで各々の内容を忘れてしまわないのかしら?と感じもしたのですよ。でも私も試してみたら、案外覚えていたので、自分ながらびっくりしました。記憶力がいいというよりは、その本を手にとると思いだす感じと言えるでしょうか。友人を真似たことにより、今までよりもずっと充実した読書ライフを送れるようになったので、彼女にはとても感謝しています。
しかしエッセイの内容は、ちょっと注意が必要ですね。先日の旅行のエッセイ、あれはいけませんでした。「今は夜だし寝る前だし、布団の中で大人しくしているしかないのに。しかもとても眠いのに」と思いながら、自由に動ける翌日翌朝楽しみに眠りにつき、起きた時の開放感はすごかったです。でもおかげで朝からてきぱきと動けたから……あれ?実際はこれで良かったのでしょうか。どちらにしろ外国に関するエッセイはまだたくさんあるので、こんな日々が続きそうです。

足踏み読書で健康改善?

足踏み読書で健康改善?

「僕はいろいろな姿勢で本を読むんです。椅子に座ったり寝転んだりもしますけど、立ったままというのもあるんですよ」知人がこう言った時、私はとても驚きました。書店で立ち読みをする時以外、立ったまま読書をしたことがないからです。なんでも彼は、座りっぱなしだと体に悪いから、あえていろいろと姿勢を変えているのだとか。足踏みをしながらなんて時もあるらしいですよ。私がその日の気分によってごろごろしているのとは、わけが違いました。
もうしばらく前から、スタンディングデスクを使って仕事をしている会社もあるようですから、それと同じ考えなのでしょう。それも初めて知った時は、ずいぶん斬新な発想だなと思いましたね。ただ結局のところは、どんな姿勢でも、動かないということがいけないと聞いたことがあります。もちろん食事や病気などその他の原因もあるので、人それぞれ状態は異なるでしょう。
でも、足踏みしながら読書は、新鮮でいいと思います。私も雑誌を見るときなど、気軽なものを読む時に試してみようかしら。大きくて厚いものだと、持ちっぱなしの腕が辛くなってしまうかもしれないから、まずはどこか本を置けるところを見つけてから試してみましょう。

発売日の管理は付箋がお勧め

発売日の管理は付箋がお勧め

リビングのカレンダーの日付のところに、大きな赤丸がついているのを見つけました。何かの目印なのでしょうが、それが何なのかは書いてありません。家族に聞いてもわからず、どうやら丸をした本人が、そのこと自体を忘れてしまっている様子でした。まあ、大事なことならば思いだすだろうと、そのまま放っておいたのですが、こういうことは、私も昔、よくありました。新刊の発売日です。
カレンダーの記入欄が少なかったので、印を決めてつけていたのですが、それがなんのマークだったか、忘れてしまうのですよ。仕方無いので最近は、付箋に題名と作家名まで込みで書いて、貼りつけています。本当は知ったらすぐに通販で頼んでしまえば問題ないとは思うのですけれどね、購入をぎりぎりまで迷うものもありますから。付箋ならば、邪魔なら別の場所に移動して、買ったら剥がせばいいだけなので、日付が見えなくなることもありません。
本当に便利なアイテムだなあと思いつつ、カレンダーがカラフルなことになってはいます。でもこの華やかさも、心を和ませる効果がある……かもしれませんよね。ただ、用事を付箋で書くのはお勧めしません。一度やってみたら、あまりの数に焦りが生じ、大変なことになりました。

妄想はお手軽な娯楽

妄想はお手軽な娯楽

とある作家さんが、小説の書き方について「妄想を広げて書くのが一番」とおっしゃっていました。それならば、世の中のたいていの人は小説家になれるのでは、と思います。だって皆さん、自分の恋の行き先や将来、目の前の大切な人の日常などについて、想いをはせることがあるでしょう。実際私は、よくやります。何事も具体的に考えれば考えるほど、目的や目標が明確になり、そこに向かって行きやすいと思っているからです。
それはある意味、ゴルフにも似ていますよ。ピンがなければ、遠くから、ホールのある場所はわかりません。そうなれば、どんなに上手な人だって、どこにボールをうつべきか、途方に暮れてしまうでしょう。ピンがあるから目標を定められるのです。
だから私は想像が大好きですし、それはあっさりと広がって妄想になり、自身を楽しませるものになります。簡単でありがちなテーマを言えば「もしも宝くじが当たったら」などでしょうか。あれを買おう、これをしようと考えても、結果は取らぬ狸の皮算用……ということは、わかっているのですけれどね。それでも、いろいろ期待を膨らませている時間が楽しいのです。脳の一部をちょっと使って幸せになれるのだから、妄想はお手軽な娯楽とも言えます。

短編を選んで一冊の本になる?

短編を選んで一冊の本になる?

先日、電子書籍のみで販売されていた短編がいくつかまとまって、紙の本になりました。中のひとつはお気に入りで、ずっと、紙媒体になるのを待っていたんですよ。やっと発売されたこの本は、たくさんの作家さんの共著になっており、お得感も満載なので、出版を知ると同時にすぐ、注文してしまいました。
こういういろいろな方の作品集は、出版社が特別にセレクトしてくれたプレゼントだと思っています。だって、自分が今まで知らなかった方の話を読む、絶好の機会ですもの。長編だと「合わなかったらどうしよう」という不安もあるけれど、短ければ気軽にさらっと目を通せますからね。ただ、何作もあるうちのひとつしか好みではなかったということも、残念ながら過去にはあります。あの時はさすがに、さみしかったですね。
そこでふと思ったのですが、電子版の好きな短編を自分でいくつか選んで本にできたら、素敵ですよね。たとえるならば、ビッフェで食べたいものだけを食べるのと、同じ感覚です。今は一冊から印刷できるオンデマンド本などというのもありますから、素人考えではできそうな気はするけれど……やっぱり難しいかしら。パソコンで疲れた目を休めるために読書をしたいと思っている節もあるので、紙が恋しいのです。

美味しいジャムは安らぎの証

美味しいジャムは安らぎの証

鍋に木苺とたっぷりの砂糖を入れて、焦がさないようにぐつぐつ煮込むと、美味しいジャムができあがるそうです。ポイントは、一度にたくさん食べるわけではないので、健康とか気にせずに、思いきって砂糖を入れること。保存食という観点から見ても、これは重要なのですって。
私はこの作り方を、魔女が出てくる小説の中で知りました。本当にこんな簡単でいいのかしらと思っていたら、後日テレビでブルーベリージャムを作っている場面が、まさにこれとほとんど同じ。違っていたのはレモン汁を入れたことくらいです。疑っていたわけではないけれど、テレビを見たことで、小説のイメージも広がりましたね。ああ、またあの本を読みたくなってしまいました。今度、書棚を探してみることにしましょう。基本的に、今現在興味のあるものが前に出ているので、長く手にとっていないものは、発掘しないと出てこないのです。
その小説ではほかに、花の上にシーツをおいて、お日様の光をたっぷりあてて干すシーンもありました。私の想像では、イギリスの田園地方の雰囲気でしょうか。大きな湖と青々とした緑があり、自生している苺やブルーベリーがあって、季節によって、様々な花が咲き乱れる……まさに憧れの小説そのままなイメージです。

書評に必要なのは客観性

書評に必要なのは客観性

友人が、書評ブログを書いています。私とは読書のジャンルがまるで違うので、時々見てみるととても面白いです。へえ、こんな作品を読んでいるのか。こういうことを考えているのか、などと、長く付き合っても知らないことが、たくさん見つかるのですよ。書籍の評価も、刺激を貰いたいときや、新しい出会いを開拓したいときに、役に立っています。
ただ彼女曰く、これは読んだ本のではないのだとか。読書をしたら、まずは自分なりの感想をノートにまとめて草稿を作り、それを吟味してブログにあげているのですって。どうやら、かなり手間暇をかけている様子……だからこそ、あんなに素晴らしい内容でまとまっているのですね。いい結果は、一朝一夕にはだせないということがよくわかりました。
私が今までに書いた感想といえば、学生時代に宿題だった、読書感想文くらいでしょうか。自分にとって感動したものを語るのは得意だけれど、誰かの役に立つように、第三者として客観的な目線で物事を伝えるのは、難しいと思ってしまうんですよね。だから書評も、書いたことはありません。それに私の場合は感覚で「これは好き」「あれは苦手」と分けたりもするので……冷静に言葉を重ねられる彼女は、本当にすごいと思います。

明日の読書のためのリラックスタイム

明日の読書のためのリラックスタイム

電子書籍はだいたいパソコンで読むことが多いのですが、気が付くと画面を睨み付けるようにして、見入っています。こうなると肩はこるし、目の周りの筋肉は固くなってしまうし、姿勢が悪いせいで背中も痛くなるし、最悪ですよね。これを改善するためには、ホットアイマスクが一番!とアドバイスを貰いました。
友人が実践しているのは、濡らしたタオルをビニール袋に入れて、電子レンジで温めて適温にし、それを目に当てるというものです。市販品もいいけれど、買えばお金がかかるから、こうして自分で対処しているとのことでした。別の友達は、お風呂の中でタオルを絞って、顔に載せていると言っていましたね。
温めるのすら手間だったので、お風呂の方を試してみたのですが、これはいいですよ。別の子が、目に光が入らない様に電気を消すともっといいと言うのでそうしてみると、温もりが体中に染みこんでくるようでした。一気に脱力して、癒されるとでも言いましょうか。これなら何の手間も苦労もなく、一日の終わりに疲れをいやすことができます。パソコンやスマホの画面に見入っている方は多いでしょうから、筋肉をほぐし、翌日も楽しい読書をするためにも、ぜひお勧めしたいです。

イメージを具現化するの映像

イメージを具現化するの映像

「小説はイメージを自分で作るものだから」と言われて、なるほどと納得したことがあります。たとえば映画やドラマなど映像があるものは、登場人物の見た目も声も、場面の在り方も、既に決まっていますよね。しかし文字のみで世界が作られている小説は、そのどれもがイメージにすぎず、たとえば『長い髪の美人な女性』という文字を見たら、読み手の数だけの長髪美人が存在するということになるのです。
これは素敵なことだと思うのですが、一方で、だからこそ小説が映像化されるという時には、いつだって賛否両論が起こるのでしょう。あの人物をこの俳優さんがやるのは、考えている人物像と違う、あるいは、ぴったりだという論争です。万人の希望にそうのは当然不可能な話ですし、あくまで制作側の考えもありますから、これは仕方がないことですよね。
それに逆に言えば、そうやって話題になることで、その作品に興味がなかった人の関心を引きつけるという効果もあると言えるでしょう。商業効果的には、作品を見てもらうことが一番ですから、これはある意味有効な策かもしれません。それに今では、原作とは別の結末を迎えるものも多いですしね。それぞれが別次元と考えれば、二重に楽しめるというのも面白いところでしょう。

同じ本を複数持っている理由

同じ本を複数持っている理由

昔の小説や漫画が、新装版として再度出版される時、ある程度の巻数がまとめられたりしますよね。私はそれを、とても良いことだと思っています。興味を持って読んでみようと思っても「全20巻です」と言われたら、躊躇ってしまうときもあるからです。でも当時の1・2巻が1冊になって全10巻だったら、最初のハードルは低くなるでしょう。
ただこれにも、短所はあるのですよ。昔のもので持っていても、つい、新装版も欲しくなってしまうこともある、ということです。内容は変わらないとわかっているのに、物によっては追加もなにもないのに、本当に『つい』としか言えません。そのくせ読むときは、慣れた昔の方だったりするのですけどね。
そのため、私の書棚を始めて見た人は、たいてい驚きます。同じ本がたくさんある、というのです。でもこういうことをするのは、私ばかりでもないでしょう。友人は、特典が欲しくて集めた結果、同じ作品のDVDを何枚も持っていますし、ほかには「初版が欲しいけれど、勿体なくて読めないから、次の版も買う」という子もいました。本の帯を集めている人もありましたね。たった1冊の本に対しても、いろいろな考えがあるものだあなあ、と思ったものです。