Monthly Archives: 5月 2016

不慣れな漢字は芸術の域

不慣れな漢字は芸術の域

先日、親戚一家と出かけた時のことです。そこにあったホワイトボードに、親戚の子供が嬉しそうに駆けていきました。「僕、自分の名前、漢字で書けるよ」と言うのです。彼は小学一年生なので、習っていない漢字を書けるということが、自慢だったのでしょう。周囲の大人が「書いてみて」と言うと、彼はマジックを手に持ち、背伸びをしながらボードいっぱいに、漢字を書きました。ただその書き順が面白かったのですよ。下から上、右から左と、正しいものとはまるで違います。私はそれを見た時、まるでアートだな、と感じました。
だって私達大人からしたら、線は上から下へ、左から右へと書くものです。それが文字というものだと、少なくとも私は思っています。しかし彼は、漢字の完成体のみを認識しているから、まるで絵をかくように、自由に描いていくのですよね。
他の大人は笑っていましたが、私にとっては目から鱗でしたし、その感性は素晴らしいと思いました。きっと、今後学校で習っていくうちに、こんなことはなくなっていくのでしょう。ただ心のどこかに、この自由な発想が残ってほしいとは思います。なんといっても、そう簡単にまねできることではありませんし、私は羨ましいと思いましたからね。

わからないことを調べる二種類の方法

わからないことを調べる二種類の方法

先日、最近の中高生はインターネット技術が高いという記事を読みました。私の場合はわからない事柄があったら検索サイトを使って情報を探しますが、学生はその他にSNSを当たったりもするらしいのです。それにより、今現在といった最新の話題が手に入るのですって。なるほど、と思いました。
しかし反面で、わからない物事を調べるのならば、まずは書籍を使うようにと書いているサイトもありました。インターネットでは検索した用語の情報が上から一覧で現れますが、書籍ならば関連した物事も見ることができるからです。確かに、偶然見たページに書かれていた文言から、芋づる的に知識が広がっていくことって多いのですよね。それこそ学生時代は、よく経験したものです。
私の場合は昔から紙で調べることに慣れているので、机の上には国語辞典を常備していますし、深く知りたいことがあれば図書館へ向かいます。古いものも高価なものも、今は遠方に保管されている書籍ですら容易に見ることができるので、本当にありがたいんですよ。ただ、ちょっとしたことならば、パソコンで探してしまいますね。やはり文明の機器インターネットと、昔からある本、どちらも同じように扱えるのが、一番いいとは思います。