Monthly Archives: 6月 2017

名刺とコースターはしおりの代わり

名刺とコースターはしおりの代わり

以前友人から本を借りた時、中に彼の名刺がはさまっていました。いったい何事かと思ったのですが、本人曰く「ほかに紙がなかったから、しおりの代わりにした」とのこと。レシートでもメモの切れ端でもなんでもありそうなのに、あえて、写真付きの名刺を、ケースからだすことを選んだのですね。思わず笑ってしまいました。
しかしそういえば、私も以前、それ以外に手元にないからという理由で、コースターを挟んだことがあります。しかも母手製の布のものなので、ちょっと厚いんですよ。他にも、その場を動くのが面倒だからという理由で、ティッシュペーパーを使った時もありましたね。ただ前者の時は、すぐに別の紙を入れ直しました。コースターを使ったままで、本に変な癖がついてしまったら、残念だと思ったからです。
そして例の友人は、続きのシリーズを貸してくれたのですが、それにも名刺が入っていて、本当に笑いました。だって二冊連続で入っていたということは、彼はわざわざ新しいものを、別の本に挟んだのですよ。せめて前使ったものをリサイクルすればいいのに……と思っても今さらですね。さすがに三冊目には、普通のしおりを使っていましたが、まったく、面白い人です。

イメージを具現化するの映像

イメージを具現化するの映像

「小説はイメージを自分で作るものだから」と言われて、なるほどと納得したことがあります。たとえば映画やドラマなど映像があるものは、登場人物の見た目も声も、場面の在り方も、既に決まっていますよね。しかし文字のみで世界が作られている小説は、そのどれもがイメージにすぎず、たとえば『長い髪の美人な女性』という文字を見たら、読み手の数だけの長髪美人が存在するということになるのです。
これは素敵なことだと思うのですが、一方で、だからこそ小説が映像化されるという時には、いつだって賛否両論が起こるのでしょう。あの人物をこの俳優さんがやるのは、考えている人物像と違う、あるいは、ぴったりだという論争です。万人の希望にそうのは当然不可能な話ですし、あくまで制作側の考えもありますから、これは仕方がないことですよね。
それに逆に言えば、そうやって話題になることで、その作品に興味がなかった人の関心を引きつけるという効果もあると言えるでしょう。商業効果的には、作品を見てもらうことが一番ですから、これはある意味有効な策かもしれません。それに今では、原作とは別の結末を迎えるものも多いですしね。それぞれが別次元と考えれば、二重に楽しめるというのも面白いところでしょう。