Monthly Archives: 12月 2018

アレンジされて時代を巡る

アレンジされて時代を巡る

友人が最近、昔の音楽を現代風にアレンジした曲を聞いているそうです。原曲と聞き比べると、メロディライン以外全部違っているというくらい差があるものもあって、面白いと言っていました。ちなみに原曲しか知らない家族が聞いた時には「これ……どうしちゃったの?」とびっくりしていたそうです。「変わりすぎだよ」と大笑いしていたと聞いて、私も笑ってしまいました。
この現代アレンジ云々は、旧作の小説が新訳で出版されるようなものかしらと思っています。大筋は変わらないけれど、言葉遣いや言い回しが変わるのですよね。時代を感じて読みにくかった文章が、さらさらと頭に入るようになっている場合もあるので、たいてい古い作品を買う時は、最新版の訳のものを選んでしまいます。ストーリーを追うのに一生懸命になりたいので、旧字体や仮名使いなど、あまり慣れていないことに頭を悩ませたくないのです。
私はこうして変化をしながらも、昔のものが今に残っていくのは、素晴らしいことだと思います。まったく消えてしまうよりは、ずっといいですよ。それに現代版から興味を持って、オリジナル版を調べる人もあるでしょうからね。変化し続けて時代を巡り、いつまでも人の心を癒し続けて欲しいものです。

利便を追い、懐古する時代

利便を追い、懐古する時代

活字離れという言葉を聞くようになって、どれほどの年数がたっているかはわかりませんが、私は子供の時からずっと本を読んでいます。最初は趣味と言っていましたが、もはや習慣のようなものですね。毎日歯を磨き顔を洗うのと同じ感覚で、ページをめくっていますもの。だから世間の方にとっては、読書が習慣になっていないのだろうなと思っていました。
でも紙の書籍からは離れたけれど、逆にインターネットでの読書率は増えているという話もあります。それなら人が手にしなくなったのは本であり、活字を手放したわけではないのですね。手のひらサイズで、いつでもどこでも持ち歩けて、世界中の情報と繋がっている便利な機械があるのだったら、そうなるのも当然のことでしょう。ただちょっと、寂しいですけれど。
いつか、新聞も教科書も全部、電子になってしまうのかしら。手紙もなくなり全部メールで、お中元もお歳暮もネット注文だけになったりしたら……すごいけれど、もったいない気はします。だって手書きのハガキとか届くと、とても心がときめきますもの。文字の巧拙ではなく、その人がペンを持って書いてくれたということが嬉しいのです。今では珍しいからかもしれませんが、やっぱり、昔ながらのものは残ってほしいなあと思います。