先日、駅構内で偶然通りがかった小さな書店で、購入予定にはなかった本を買ってしまいました。帯に書かれた言葉に惹かれたからです。あの宣伝文句って、誰が書いているのでしょうね。編集者の方かしら?それともコピーライターさん?インパクトが強すぎて、中身も見ずにレジに持って行ってしまいましたよ。
以前には、作家さんご本人は初見だったにも関わらず、帯でお勧めしている人の名前に引かれて、本を買ったこともあります。だって、大好きな漫画家さんが「面白いよ」と紹介していたら、それはつい見てしまうでしょう。そう考えると、中身ももちろん大事ですけれど、宣伝の顔とも言うべき紹介人もとても大切ですよね。
きっと、出版社さんはそこも考えて、あの宣伝をつけているのでしょう。そうでなければ、わざわざサイズの違う紙に印刷して、あのような物をくっつける意味がありません。しかもあれは、初回特典や、イベント特典みたいなものですからね。毎回あればありがたみも薄れますが、お気に入りの方の言葉が、初回に限りついていると考えれば、ほら、購入意欲が沸くでしょう。そういえばこういった帯やカバーのあるなしで、中古の買い取り価格が変わる場合もありますものね。やっぱり、大事な物ということですね。
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読書も映画もほどほどに
私の友人は、会社が休みの日にまとめて映画を見るそうです。自宅近所に映画館がないという理由があるにしても、日に三本はしごするというのは、すごいと思いますね。その間ずっと座りっぱなしですから、きっと最後にはお尻の筋肉も腰も背中も、ぱきぱきになってしまうでしょう。
その話を聞いて私はふと、読書家の人は、一日に何冊くらい本を読めるのだろうか、と思いました。コミックスではなく、小説の場合です。私は小学生のころなどは、日がな一日読書をしていたけれど、三冊くらい読むと飽きてきて、結局そのままお昼寝してしまっていました。大人になった今は、二冊が限界ですね。いくら面白くても、同じことを続けるのはやっぱり大変です。
それに読了した後は、映画を見るのと同じように、身体中の筋肉が固まってしまっています。その上電子書籍を使ってしまったときには、目もちかちかするんですよ。目に優しいという意味では、紙の書籍のほうが負担にならない気がします。ただこれはあくまで、部屋の明かりの下での読書のこと。以前天気がいいからとお日様輝く外で読んだときは、その後大変でしたね。目が日焼けで、ひりひりするんです。白い紙が光を反射するからでしょうか。それ以来、本を読むのは室内で決めています。
乱雑に積んだ本こそ大事なもの
いつだったか、かなり昔に「本は横にして積み上げると傷むから、やめた方がいい」と聞いたことがあります。重しの下にあるような物だから、ページがくっついてしまったり、曲がってしまったりするのですって。しかし私は、本を積み上げて書棚に詰め込んでいます。だってその方が、省スペースなんですもの。購入したらなかなか手放せないのが、書籍というもの。そうなったらあとはもう、狭いところにどれだけ入れることができるかと、どうしたって考えてしまうでしょう。
ちなみに大事なものは、ちゃんと書棚の日の当たらないところに、縦にして入れていますよ。積んでいるのは、資料として手にしたものや、手軽な文庫などです。優劣があるわけではないですが、やぱり高価なものや絶版のものは、そんな扱いはできません。
ただ、このように乱雑に置いているもののほうが、何度も読み返す作品だったりします。だからこそ横においても埃もたまらずに、書棚にあり続けるのです。あと、積読も横になっていますね。これはたんに、まだ未読だぞとわかりやすくするためです。これが崩れてくる前には、山を綺麗にしなくてはいけないという義務感をあおるためもあります。永遠にたまり続けては困りますからね。
本はともに成長する兄弟
先日友達と「ライトノベルやコミックス、あるいは歴史小説は、どうしてあんなに長くシリーズが続くのか」について話し合いました。キャラが立っていて、登場人物それぞれの人生を描くから? それとも独特の世界観を語るには時間がかかるから? いいえ、人気があって、終わらせることができないのかも。意見はいくつか出ましたが、当然ながら、専門外の私たちに答えはわかりませんでした。
もしかしたら出版社と作家さんの間で、最初から「何巻までは続けましょう」という話があるのかもしれませんし「気付いたらいつの間にかこんなに壮大なストーリーになっていた」という方もあるのかもしれません。ただ話すうちにどんなジャンルにせよ、それだけ長く同じ作品を続けている作家さんは、それをライフワークとして掲げているのではないかと思いました。
お金を稼ぎ食べていくために必要だからというよりは、もちろんお金は大事だけど、ほかにも自分の楽しみを兼ねている、さらには待ち望むファンもいる、だからこそかき続けられている……この予想は大きく外れてはいないでしょう。お気に入りのライトノベルやコミックス、または歴史小説とともに、年を重ねて成長していく人も多いでしょうね。
本の仲介をする喫茶店
この間初めて訪れた喫茶店に、壁一面の書棚がありました。中には乱雑に、文庫や漫画、写真集などが並んでいます。お店の方の趣味だと思った私は、ずいぶん興味の幅が広いなあと感心したのですが、一時間ほど店内にいるうちに、あれはお客さんが置いていくのだと気付きました。聞けば、もう読み飽きたものを自由に書棚に並べているのだそうです。
最近は読み終えた本を、古本屋に売る人も多いでしょう。そうすればたとえ額は少なくともお金になりますから、ぜひそうしたいという考えもわかります。ただこうして自分の本が循環していく流れを直接見られるのも、素晴らしいですよね。私は知らずに出掛けたので、あいにく置いていける物は持っていなかったのですが、次回はちゃんと、ここを目的地と定めてきたいと思いました。
ちなみに、置いた数と同じだけは持って帰ってもいいのですって。書籍の物々交換ですね。次行くときに、素敵なものがあるかしら。あれだけの中から選び放題だと思うと、今からウキウキしてしまいます。もちろん、店内にいる限りは、どれだけ読んでもいいのですよ。たっぷり読んで、そこから持ち帰るためのお気に入りを選ぶのが得策かなあという気がしています。
ながら読書で時間を捻出
「最近忙しすぎて、本も読めない」と言っていた友人が、歯磨きと読書を並行させることを思いつきました。右手で歯ブラシを持ち左手で本を持つらしいのですが、これ絶対、歯磨き粉こぼれるパターンですよね? 私ならやらないなあと思いつつ、まあ器用な子だから平気かもと考えていたら、この間、案の定泣きのメールが届きました。「サイン本に歯磨き粉飛ばした」ですって。どうしてあえてそんな大事な物を読んだのでしょう。呆れつつ慰めておきました。
私はどうしても時間がない時は、料理をしながら読書をします。たとえばお湯が沸騰するまでの間、他に作るものがあればそちらを手掛けますが、カップラーメンを食べたいからお湯だけ必要という場合だってあるわけです。そんな時は、どうせコンロからも離れられないしと、目の前に立ってページをめくります。私は、冬なら火の近くで温かいし一石二鳥だと思っていたのですが、他の方はどうかしら。
やりたいことならば、いくら忙しくてもできるはず……とは言いません。でもやっぱり、やりたいことをすっぱり諦めてしまうのは寂しいですよね。だからなんとか工夫をして、自分が好きなことを続けていく努力はしていきたいと思っています。
本選びは感覚第一
古本市という言葉を聞くと、とても心がときめきます。なぜかお宝が眠っているような気がするのですよね。色あせた書籍と少し埃っぽい空気に、その本が生きた時代を感じるからかもしれません。もちろん、フリーマーケットの片隅で売られている、数冊の文庫も好きですよ。数が少ないからこそ、何があるのだろうとどきどきします。チェーン店はなんでも揃うから便利ですし、要は私は、本に関わるところならどこに行っても楽しめるのです。
私の友人は、「どんなレストランにも発見がある」と言っていました。彼女は料理を作るのが好きで、少し食べただけで材料や味付けに何を使っているか、まるでクイズのように当ててしまうのです。だから美味しいものを食べた時は当然、いまいちの味でも「こうしてはいけないんだ」と勉強になるのですって。その話を聞いた時、「物事の良しあしを判断するには、基礎的な知識が大事なのか」と納得したのを覚えています。
だからといって、私が古書に関する知識を持ち合わせているわけではありません。ただ今の新刊の中にはないものが、自分の好みや望みに合っているか、敏感に察知しているだけです。その点では彼女の素晴らしい味覚と同じ、感覚が良書を教えてくれるのだと言えるでしょう。
大事なのは触れること
この間小説の中に、子供がおばあちゃんと森の中を散策するというシーンが出てきました。最近はインターネットを使えば、どんなに珍しい動植物でもたいていは画像を見られますし、生態について詳しく知ることもできます。でもおばあちゃんは、「手に触れてみることが大事」と言うのです。
私はこの場面を読んだ時、もっともだと深く納得しました。それより何日か前、初めて作る料理に失敗していたからです。レシピ本の通りに作ったはずなのに、どこがいけなかったのでしょう。わかりませんが、やっぱり実際にやってみるということが、とても大事ですよね。それに、材料からなんとなく想像できる人がいたとしても、触感や香りや味などは、現物を前にしてみないと、正しいところはわかりません。「まずそうだけど美味しかった」「長く食べず嫌いをしていて損をした」なんてことだってあるのです。
食べ物のみならず、他の事に感じても同じです。実物を知っているか否かで、その物に対するイメージはかなり違うと言えるでしょう。だからこそ私は、積極的になんにでも触れていきたいと思っています。きっかけのぶんだけ、ちょっとだけでもいいのです。それでその後何かが、大きく変わるかもしれません。
並行読書のすすめ
読書家の友人は、常に何冊かの本を並行して読んでいるそうです。たとえば日中の隙間時間には仕事に関わるものを、眠る前にはエッセイを、休日には小説を読むといった具合ですね。毎日学び、就寝前に心を休めて、休みにはじっくり別の世界に浸ると考えると、実に理に適っていると思いました。
実は当初は、それで各々の内容を忘れてしまわないのかしら?と感じもしたのですよ。でも私も試してみたら、案外覚えていたので、自分ながらびっくりしました。記憶力がいいというよりは、その本を手にとると思いだす感じと言えるでしょうか。友人を真似たことにより、今までよりもずっと充実した読書ライフを送れるようになったので、彼女にはとても感謝しています。
しかしエッセイの内容は、ちょっと注意が必要ですね。先日の旅行のエッセイ、あれはいけませんでした。「今は夜だし寝る前だし、布団の中で大人しくしているしかないのに。しかもとても眠いのに」と思いながら、自由に動ける翌日翌朝楽しみに眠りにつき、起きた時の開放感はすごかったです。でもおかげで朝からてきぱきと動けたから……あれ?実際はこれで良かったのでしょうか。どちらにしろ外国に関するエッセイはまだたくさんあるので、こんな日々が続きそうです。
足踏み読書で健康改善?
「僕はいろいろな姿勢で本を読むんです。椅子に座ったり寝転んだりもしますけど、立ったままというのもあるんですよ」知人がこう言った時、私はとても驚きました。書店で立ち読みをする時以外、立ったまま読書をしたことがないからです。なんでも彼は、座りっぱなしだと体に悪いから、あえていろいろと姿勢を変えているのだとか。足踏みをしながらなんて時もあるらしいですよ。私がその日の気分によってごろごろしているのとは、わけが違いました。
もうしばらく前から、スタンディングデスクを使って仕事をしている会社もあるようですから、それと同じ考えなのでしょう。それも初めて知った時は、ずいぶん斬新な発想だなと思いましたね。ただ結局のところは、どんな姿勢でも、動かないということがいけないと聞いたことがあります。もちろん食事や病気などその他の原因もあるので、人それぞれ状態は異なるでしょう。
でも、足踏みしながら読書は、新鮮でいいと思います。私も雑誌を見るときなど、気軽なものを読む時に試してみようかしら。大きくて厚いものだと、持ちっぱなしの腕が辛くなってしまうかもしれないから、まずはどこか本を置けるところを見つけてから試してみましょう。