いつもと違う道で新しい出会い

いつもと違う道で新しい出会い

この前のお休みは少し離れた町の図書館へ行ってきました。普段利用している図書館も良いところなのですがちょっと気分転換に別のところへ。行ったことのない図書館ってすごくワクワクするんですよね。どんな本が置いてあるかなぁ?っていうのはもちろんなんですけど、その図書館によってプッシュしてるコーナーが違ってたりして楽しいんです。先日行ったところは雑誌系がとてもたくさん置いてありました。ファッション雑誌に芸能雑誌、DIY、収納料理などの生活雑誌…これ全部自由に読んでいいなんて本当にすごいです!本当はブックカフェみたいにコーヒーでも飲みながらゆっくり読めればいいんですけどね。図書館なので飲食は我慢です。
その日は何も借りずに帰ったのですが、帰り道違うルートを通ると良い感じの喫茶店を発見しました。こじんまりとしててメニューの看板がお洒落で可愛い!サンドウィッチがめちゃくちゃ美味しそうでした。今度、お休みの日は10冊くらい雑誌借りてそこで軽食やお茶を楽しみながらのんびり過ごすのもいいかもしれません。図書館からすごい近かったので読み終えたら返しにもう1回戻っても良いし。新しい楽しみができました♪いつもと違う道も新しい出会いや発見があっていいですね。

私もこんなふうに生きたい

私もこんなふうに生きたい

実は少し心が元気ない時がありました。そんな時にすごい尊敬して信頼している人から渡されたのは1冊の本でした。すごくネガティブで何もかも悪いように考えたり、捉えてしまう私に「こういう考え方があるよ」「こっちから見るとまた違ったものが見えてくるよ」ってことを教えてくれる自己啓発本。すごく分かりやすくて、前向きで、なかなか性格を変えることは難しいけどこんなふうになりたいなって思いました。
あと面白いのが、この本をくれた人も、私の好きな芸能人も、みんな根本的にはこの本みたいな考え方で同じようなことを言っていること。魅力的な人たちはこうやってマイナスを自分でプラスにしていってるんだなって感動しました。惹かれていたのは自分に無いものを持っているこの人たちが羨ましかったのかもしれないですね。
いいなぁって思うなら、そんなふうになればいいんだって…思いつつ、やっぱり簡単にはいかないですけど、凝り固まったネガティブな思考をちょっと角度変えて考えてみようって思うようにはなりました。それだけですごく心が楽になったので、きっかけをくれたこの本とこの本をプレゼントしてくれた方に感謝ですね。
自己啓発本っていろんなのがあるけど、しばらくは同じ作者さんの別の本も読んでいました。

マルシェと骨董市から知る暮らしの豊かさ

マルシェと骨董市から知る暮らしの豊かさ

以前マルシェを訪れたことがありました。週末に開催されているようで無農薬の野菜やお米、はちみつ、スイーツなど、生産者のこだわりが詰まった商品を購入できる場です。たまたま近くに行く用事があり立ち寄ったのですが、大きなエコバックがいっぱいになるほど買い物をしてしまいました。ここで購入したものはどれも美味しくて、私の暮らしはささやかな贅沢を感じつつも楽しいものになったと感じています。
また隣で骨董市も開催されており、ここにもまた素敵な商品が置かれていました。レトロなバッグやボタン、お皿やコップにお洋服。年代を感じさせるものも多いのですが、古さよりも質やこだわりを知ることができる品物達がたくさん売られており、それらを眺めるのもまた乙な時間でした。
あれから年月が過ぎた昨晩、パリについて書かれた本を読みました。その本にはフランスのマーケット事情が記されており、あの日訪れたマルシェのことを思い出したものです。フランスでは朝からマルシェが開かれ、とれたての新鮮な食材を気軽に購入することが出来ると書かれており、ここにも生産者のこだわりがあり、自分のお気に入りのお店を決めて通うお客様も多いとのことでした。買い物の時には、お店の人からお薦めの食材や調理方法を聞くことができるそうで、ちょっとしたコミュニケーションの場にもなっているようです。また蚤の市と呼ばれる骨董品を売る市も週末に開かれるそうで、私の友達もパリに行くと立ち寄ると言っていたことを思い出したものです。書籍にもその様子が書かれていて、たくさんの人々で賑わっている写真も掲載されていました。
新しいものばかりを追い求めず古いものを大切に使うこと、新鮮な食材を購入して自らの手で調理すること。こうしたことは分かっていても便利な生活にかまけてしまい、ついつい忘れてしまいがちです。便利さだけに捕らわれずに私らしいこだわりを持った生活をしてゆけたら、感性や価値観がもっと研ぎ澄まされてゆけそうです。それらは心の豊かさに繋がることを書籍や青空市から学びました。

ほおずきと戯れた幼い思い出

ほおずきと戯れた幼い思い出

可愛らしい実が魅力的な「ほおずき」について書かれた文章を見つけました。それは昨晩読んだ小説に記載されていて、子供の頃の思い出がふと沸き起こったのでした。オレンジ色のまるで紙風船のような柔らかい花の中にはまん丸な実が潜んでいます。小さい頃、祖母の家の庭に夏になると可憐に花を咲かせていて、私はよくそれを手にして遊んだものです。またほおずきを売る市が開催されることもあり、私の中では夏の植物として心に刻まれています。
このお花はナス科だそうで、食用としてヨーロッパで親しまれてきたようです。これはフランスについて書かれた本で読み、私は観賞用とばかり思っていたので少々驚いたものです。実をいうと小さい頃一度だけ、庭に植わっていたものを口に入れたことがあったのですが、私の口には合わなかったのでした。それは食用ではないものだったため、仕方ありません。また観賞用には毒性があるというのを読み、幼いながらに食い気に走ってしまったことを後悔したのでした。とはいえ食用のほおずきはかなりフルーティーで美味しいらしいので、私も機会があったら是非トライしてみたいと思っております。同時にいつの日か幼い頃のようにほおずきと戯れたいと感じており、花屋で見つけたら購入しようと胸に決めております。

広い視点からみた人類の存在を考えてみた

広い視点からみた人類の存在を考えてみた

ある冬の夜のこと、外に出て星を眺めてみました。人々が寝静まった住宅街は空気が澄んでいたこともあり、空にはたくさんの光が輝いていました。点と点を結べば星座をみることができるほどの多くの星達はとても美しくて、あの日のことは今でも鮮明に思い出すことができます。この日、空を眺めながら私の心にふと浮かび上がったのは知人のことでした。その方は私よりも年上で、とても個性的な感性を持っています。そのため読む書籍も幅広くて、「解剖生理学」や「宇宙に関する雑誌」なども愛読書とされているようです。たまたまお話をする機会があり、今まで読んできた本についての話題が登った時に、お気に入りの書籍を紹介してくれました。中でも「宇宙に関する本」のことを話してくれたのは、とても印象的だったのです。ずっと昔から宇宙はあって、そこに地球が存在していることに生命の神秘を知ることができます。また物理学も加わり、話は多岐に渡る広がりをみせてゆきました。少々難しい話題だったため、心の奥にふんわりと残っておりそれを言葉にすることは難しいのですが、私が生きる世界は宇宙からみたらとても小さい規模なのだろうと思ったのでした。しかしながら地球で生きる私達に生命が宿り、こうして生きていることは、まるで夜空の星のような輝きを秘めた素晴らしいことなのではないかと感じました。そのことはとても感慨深く心に刻まれたのでした。

肯定することは過去を受け入れること

肯定することは過去を受け入れること

心がほんわかと温まるドラマを観ました。それは、以前から大切に読んでいたマンガが原作のお話です。猫と暮らすマンガ家の日常を描いたもので、優しい目線で暮らしを見つめた傑作だと感じています。映像作品は4話完結となっており、最終話を観た時私は思わず涙を流したのでした。主人公は子供の頃からどこか生きづらさを感じながらも、ずっと絵を描き続けてきました。その中で味わった嬉しかったこと、切なかったことやもどかしさを辿りながら最終話は展開されてゆきました。手掛けた作品が世の中に認められながらも、子供の頃からあった生きることへの違和感が消えずにいた主人公が、過去のことを肯定して自分を認めるところが、深く心に刻まれました。
大きな賞をとること、世の中から高い評価を受けることは、とても意味があることだと思います。でも一番大切なことは、「自らを肯定すること」だと感じます。自分に厳しい人間も立派だと思いますが、内にある弱さを知る事も必要です。そしてそれを許すことは、本当に意味があることだと思いました。
好きなことを仕事にして、猫と朗らかに暮らす主人公にも様々な出来事があり、葛藤しているのだと気付いた時、生きていることはとても奥ゆかしいものなのだと考えさせられたものです。多かれ少なかれ、私の中にも過去の出来事達が存在しています。不甲斐なさや切ない出来事もありますが、「それでもいいじゃない」と許す心を持てたらいいと強く思ったのでした。

白銀の世界に生きるキツネの絵本

白銀の世界に生きるキツネの絵本

何年か前の木枯らしが吹き始めた季節のことです。書店に立ち寄ったところ絵本コーナーに「手袋にまつわる作品」が置かれているブースを見つけました。そこには動物や子供達が主人公の手袋が登場する物語が並んでいました。どれもとても可愛らしくて素敵なものばかりで、思わず何冊か手にとり読んだことを覚えています。その中でも一番私の心を揺さぶったのはキツネの親子が登場する作品でした。表紙に描かれた白銀の世界に佇むきつねの親子が美しく、またどこか儚い表情が心に焼き付いています。サラッと目を通してみたところストーリーもしっとりとしていて、思わず涙ぐみそうになりました。それから数日経ってもこの作品が頭から離れることはなく、時間が経つにつれてまるで一目惚れをしたかのように思いを募らせたことから購入することにしました。そして素敵な絵本との運命的な出会いに胸を打ったため、友人の愛娘へプレゼントすることにしたのでした。そのプレゼントは友人のおうちに遊びに行く際に手土産として持ってゆき、その場で3歳の女の子へつたない読み聴かせをおこないました。
それから数ヶ月経ったある日、その友達とランチをしていた時にプレゼントした絵本の話になりました。どうやら私と同い年の友達がとても気に入ってしまったようで、子育ての合間にその絵本を眺めることがあると言ってくれました。その話を聞いてとても嬉しくて幸せな気持ちになったことが今でも心に残っています。これからも素敵な作品との出会いがあることを胸に、これからも書店通いに精進しようと思ったのでした。

大正時代の日記から知る女性のこと

大正時代の日記から知る女性のこと

大正時代にある女性が書いた日記を読みました。それはささやかな暮らしの何気ない会話と日常を綴ったものでした。芸術を仕事とする女性とその家族が住む家でお手伝いさんをする方が書いた短い日記の中には「生きること」「愛すること」「母親になること」が凝縮されていたのでした。また文中に記された「弱い女性」という言葉がとても胸に残りました。人の強さと弱さを分かっているように思っていましたが、私はまだまだ生まれたてのヒヨコのごとく、学ぶべきことがたくさんあると感じたのでした。子育てや家庭のことで眠れない夜を過ごしていたこともあり、その言葉を発した女性は疲れていたのかもしれません。睡眠不足はイライラを誘発させ、落ち込みがちになるものです。そんな時私も自分の弱い部分や嫌なところが目についてしまい、自己嫌悪に陥ることも少なからず経験してきました。
しかしながらこの日記には、「ただ疲れているから」という理由で見過ごしてしまうようなことを深い言葉で書き留められているところにとても親近感が湧いたのでした。そして時代は変わっても生きる上での悩みや葛藤は変わらずに有り続けると感じました。社会情勢や時代背景により暮らしは変わってゆくものですが、根本的な人の心は今も昔も共通しているのかもしれません。こうしたことを改めて知る事ができたことは、とても貴重だと思っております。

創意工夫と自由を持った女は無敵です

創意工夫と自由を持った女は無敵です

一冊の本を読み終えた時に味わう、何とも格別な気分は病みつきになるものです。私は今日、女性小説家が書いた随筆を完読しました。人を愛すること、小説を書くこと、着物を楽しむことを生涯おこなってきた作家のエッセイは、生きる力と人生を謳歌することが存分に詰め込まれていました。このエッセイは着物について書かれたものです。そのため現代社会で生きる私にとって今までかなり敷居が高かった装いを、とても身近に感じることができたように思います。
正直言うと帯を買うだけで何十万もするという感覚を持っているためか、いつか着てみたいけどなかなか装う機会がないと半ば諦めておりました。この書籍を読み終えた今、そんな気持ちが少し薄らいだような気がします。なぜならばこの本の作者が、オリジナリティを持って自分の頑張れる範囲で楽しむおしゃれのたしなみを教えてくれたからです。お金をかけなくても、今手元にあるもので工夫して創意することが大切だということを知ったのでした。それは頭では分かっていてもなかなか実践できず、消費の渦に飲まれ続けていたことを改めて知りました。着物だけではなく、洋服だって創意工夫は大切です。今ある洋服を自由自在にコーディネートしてファッションを楽しむことが出来たら、生活はもっと開けてゆくように思います。こうした心意気がいつしか新しい可能性を見出してゆくのではないでしょうか。そんなことを改めて考えさせられたエッセイを読むことができたことは、私にとって宝物だと感じております。おしゃれを楽しむ創意工夫と自由さと軽やかさを胸に、明日からの暮らしが少しずついい方向に変わってゆけばいいと思っています。

卵料理あれこれ

卵料理あれこれ

卵料理。それは和洋中で用いられており、ふんわり軽やかなスクランブルエッグ、かきたま汁など、挙げたらきりがありません。
先日読んでいた料理の本には、多種多様な卵料理が載っておりました。この書籍は職業も年齢もバラバラな女性達の朝御飯について書かれた作品でした。数多くの卵焼きが登場しており、味付けは家庭により異なっていました。しょうゆやみそやだしを使ったもの、お砂糖を入れた甘いものまで、その家庭ならではの味付けはどれも美味しそうでした。同時に幼い頃から噛みしめてきた母の味を代々受け継いてゆくことを知り、感慨深さを感じたのでした。
さて、私の潜在意識から消すことができない卵料理と言えば、今から十年以上前に観たミュージカル映画に登場した目玉焼きです。田舎町から都会に出てきた女の子がファッションの仕事に携わるフランス映画で、インテリアもお洋服もすべてがキュートな、まさにおしゃれ映画の代名詞と言ったところでしょうか。中でもミニのワンピースを着て、踊りながらフライパン片手に作るシーンは格別におしゃれに感じたのでした。普通の目玉焼きなのですが、可愛いおしゃれ女子が作ると、とても美しいものの見えてくるものです。あれ以来、時折無性に目玉焼きを食べたくなることがあり、お台所であの映画を思い出しながら作ることもしばしばです。そんな時、私もあんな風に素敵なインテリアに囲まれたお部屋で、フライパン片手に小唄を口ずさみたいと強い妄想に駆られるのでした。