先日、駅構内で偶然通りがかった小さな書店で、購入予定にはなかった本を買ってしまいました。帯に書かれた言葉に惹かれたからです。あの宣伝文句って、誰が書いているのでしょうね。編集者の方かしら?それともコピーライターさん?インパクトが強すぎて、中身も見ずにレジに持って行ってしまいましたよ。
以前には、作家さんご本人は初見だったにも関わらず、帯でお勧めしている人の名前に引かれて、本を買ったこともあります。だって、大好きな漫画家さんが「面白いよ」と紹介していたら、それはつい見てしまうでしょう。そう考えると、中身ももちろん大事ですけれど、宣伝の顔とも言うべき紹介人もとても大切ですよね。
きっと、出版社さんはそこも考えて、あの宣伝をつけているのでしょう。そうでなければ、わざわざサイズの違う紙に印刷して、あのような物をくっつける意味がありません。しかもあれは、初回特典や、イベント特典みたいなものですからね。毎回あればありがたみも薄れますが、お気に入りの方の言葉が、初回に限りついていると考えれば、ほら、購入意欲が沸くでしょう。そういえばこういった帯やカバーのあるなしで、中古の買い取り価格が変わる場合もありますものね。やっぱり、大事な物ということですね。
パズル雑誌をお見舞いに
先日、久々に書店をうろついてきました。いつもは欲しい本をインターネットで購入することが多いのですが、こうして目的もなく、店内を見て回れるのはいいですね。先入観がないからすべてを平等に見られる気がします。もちろん、興味を引かれるものがあれば手に取って、ページをめくってみますよ。普段は目にしないジャンルに慣れ親しむには、いい機会でした。
ちなみにその日、私はクロスワードの雑誌を買いました。知人が入院しているので、時間つぶしにちょうどいいと思ったのです。ぬりえと迷ったんですけれども、そちらは色鉛筆も必要ですから。それよりは、鉛筆一本で楽しめて、お見舞客と一緒になってクイズを解けるパズルの方が、きっといいと判断しました。
それにしても、パズル雑誌もたくさん種類があるのですね。どれにもたいてい、答えを書いて応募する懸賞がついていましたが、あの一冊分を一か月でクリアするのだとしたら、とても大変だと思います。それとも、欲しいものがあるページだけ先にチャレンジしてしまうのかしら。最近はインターネットで何でも調べられるので、難しい問題も、検索すればすぐに答えが見つけられるでしょうね。まったく、便利な世の中になったものです。
読書も映画もほどほどに
私の友人は、会社が休みの日にまとめて映画を見るそうです。自宅近所に映画館がないという理由があるにしても、日に三本はしごするというのは、すごいと思いますね。その間ずっと座りっぱなしですから、きっと最後にはお尻の筋肉も腰も背中も、ぱきぱきになってしまうでしょう。
その話を聞いて私はふと、読書家の人は、一日に何冊くらい本を読めるのだろうか、と思いました。コミックスではなく、小説の場合です。私は小学生のころなどは、日がな一日読書をしていたけれど、三冊くらい読むと飽きてきて、結局そのままお昼寝してしまっていました。大人になった今は、二冊が限界ですね。いくら面白くても、同じことを続けるのはやっぱり大変です。
それに読了した後は、映画を見るのと同じように、身体中の筋肉が固まってしまっています。その上電子書籍を使ってしまったときには、目もちかちかするんですよ。目に優しいという意味では、紙の書籍のほうが負担にならない気がします。ただこれはあくまで、部屋の明かりの下での読書のこと。以前天気がいいからとお日様輝く外で読んだときは、その後大変でしたね。目が日焼けで、ひりひりするんです。白い紙が光を反射するからでしょうか。それ以来、本を読むのは室内で決めています。
乱雑に積んだ本こそ大事なもの
いつだったか、かなり昔に「本は横にして積み上げると傷むから、やめた方がいい」と聞いたことがあります。重しの下にあるような物だから、ページがくっついてしまったり、曲がってしまったりするのですって。しかし私は、本を積み上げて書棚に詰め込んでいます。だってその方が、省スペースなんですもの。購入したらなかなか手放せないのが、書籍というもの。そうなったらあとはもう、狭いところにどれだけ入れることができるかと、どうしたって考えてしまうでしょう。
ちなみに大事なものは、ちゃんと書棚の日の当たらないところに、縦にして入れていますよ。積んでいるのは、資料として手にしたものや、手軽な文庫などです。優劣があるわけではないですが、やぱり高価なものや絶版のものは、そんな扱いはできません。
ただ、このように乱雑に置いているもののほうが、何度も読み返す作品だったりします。だからこそ横においても埃もたまらずに、書棚にあり続けるのです。あと、積読も横になっていますね。これはたんに、まだ未読だぞとわかりやすくするためです。これが崩れてくる前には、山を綺麗にしなくてはいけないという義務感をあおるためもあります。永遠にたまり続けては困りますからね。
自分で見つける楽しみの種
先日、お菓子のパッケージがとてもかわいかったので、切り抜いてしおりを作りました。ちなみに包み紙は、ブックカバーにしましたよ。その前は、百円均一で買ってきたケースにシールをはって、オリジナルの通帳ケースにしました。自宅から持ち出すものではないので、自分が素敵だと思えればそれが一番と、チャレンジしてみたのです。
これらはどちらも特別にお金もかけていませんし、高い技術を使ってもいません。人に見せるには、ちょっと貧乏っぽさすら感じます。でもこうやってお気に入りのものが増えていくのは、私にとって大きな喜びなんです。大好きな本に素敵なカバーをかけて持ち歩くことができれば、たとえ病院の待ち時間が長くても、電車での移動時間に腰が痛くなっても、不機嫌にならずにすみますものね。
残念ながら日々の生活は、楽しいことばかりは起きません。でも逆に言えば、だからこそ嬉しいことが起こった時に、それを特別と感じられ、心がときめくのでしょう。これはかつて、ついてない日が続いた時に、母が教えてくれたことでした。そうやって母は、長い人生を乗り越えてきたのでしょうね。私も友人に、同じようなことが言えたらいいのにと思いつつ、まだまだ、自分の人生を楽しくするので精一杯です。
スピード文化の源にあるもの
近所の書店で見つけられなかった本をネットで頼んだら、その日のうちに発送完了メールが届いて、驚きました。そのくらいのスピードで注文をこなしていかないと、どんどん仕事がたまってしまうのかもしれませんが、それにしても早すぎですよね。びっくりです。それと同時に、どんなに効率的な仕組みで作業をしているのか、とても気になりました。やっぱり、注文を受ける人、商品をピックアップする人、そして発送業務をする人と、流れ作業なのかしら。それとも一人が全部責任もってするのでしょうか。
そこまで書いてふと、子供時代に学校で、なにかの冊子を作った時のことを思いだしました。ページ順になるように並べた印刷物を、順番に重ねていって、最後に表紙を付けてホッチキスで止めるのです。あれは何人かで、ぐるぐる巡るようにしてやりましたね。ただ、一冊に手をかける人は一人。それでもそんなに時間がかからずできました。
結局大事なのは、頭数なのかもしれません。……ということはきっと、広いところでたくさんの人が、それぞれの仕事に責任もって、取り組んでいるのでしょう。それをしっかり統制している日本の管理能力と、スピード文化はすごい、としか言いようがありません。
オフラインの重要性
先日、パソコンでオンライン小説を読んでいたときのことです。それまで特に問題はなかったのに突然、インターネットにつながらなくなってしまいました。いろいろな設定を見直しても、障害情報を検索しても、原因と思えるものは見つかりません。夜中だったので、詳しい人に尋ねることもできず、結局オンライン小説は読めずじまい。もやもやとした気持ちのまま、眠りにつきました。
ごくまれにではあっても、このようなことがあると、ダウンロードしてオフラインで読める電子書籍や、紙の書籍がいかに扱いやすいものか、よくわかります。だってあのときは、パソコンが壊れているかもしれないという不安よりも「はやく続きを読みたい」という気持ちの方が大きかったですもの。とりあえず読み終えて、それから機械の不調をチェックするのだって、私には問題はなかったのです。
結局、翌日になったら直っていたので、原因はわからずじまいです。でもそんなことよりも、またオンライン小説を読めるようになったのが、とても嬉しかったですね。もっと機会に詳しくなるか、万が一の時に備えて別の読書手段も手に入れておくかしないと、精神衛生的に良くないことになるかもしれません。頑張って方法を探したいと思います。
知人の雑誌の多大な影響
長く住んでいたとしても、地元のことを案外知らない人は多いと思います。身近にあるものは新鮮味がありませんから、特別意識しないのです。毎日昇ってくる太陽に、毎日感謝をしている人はあまりいませんよね。そういうものです。
しかし私は、一冊の雑誌をきっかけに、自分が住んでいるところのことを、もっとしらなくてはいけないと思うようになりました。それは、観光地や人気のお店について書かれた、言ってしまえばただの観光案内です。でも私は、それを作っている方を知っています。その人は毎日あちこちと取材に出掛けて原稿を書きながら、家事も育児もしっかりこなしているのですよ。なんて精力的なのでしょう。本当に尊敬します。そんな知人がが一生懸命作った本だから、熱心に調べている事柄だから、私も知りたくなったのです。
これは、作り手の人間性にほれ込むと、こうなるんだよという代表的なパターンだと思います。知り合いだから応援するなんて、生ぬるいという方もいるかも知れませんが、世の中は人情もとても大事なもの。それに私は、彼女にもっともっと、大きな仕事をして欲しいのです。頑張っている人の背中は、思いっきり押してあげたいし、できることはしてあげたい。いつもそう思っています。
睡魔と戦う時と場合
自宅で仕事をしている友達は、食後などの眠くて仕方ないときは、本を音読するのだと言っていました。眠気を覚ますだけなので、内容はなんでもいいのですって。その話を聞いた時は、声を出すことにそんな効果があるのか、と思いましたね。しかしやってみると、確かにだんだん頭がクリアになっていくのですよ。つらつらと目で文字を追っていると、どうしても読み飛ばしてしまったり、ぼんやりしてしまったりするけれど、音読ならばそれはありません。
ほかには、以前雑誌で読んだのですが、筋トレをするのもいいそうです。とにかく動かないでいるのがいけないので、ちょっとストレッチをしたり、スクワットをしたりするだけでも十分なのですって。ただ私の場合はつい夢中になって頑張りすぎてしまい、疲れて昼寝をしてしまったことがありました。何事も、やりすぎはいけないということですね。
ただ、私の大好きな作家さん曰く、眠いのが夜だった場合は、眠気を我慢してまで物事に取り組むよりは、さっさと布団に入って翌日に作業したほうが、いい結果が出るとのことでした。眠気は脳の動きを鈍らせますからね。その日のスケジュールと時刻によって、チャレンジする方法を変えるのが良さそうです。
本はともに成長する兄弟
先日友達と「ライトノベルやコミックス、あるいは歴史小説は、どうしてあんなに長くシリーズが続くのか」について話し合いました。キャラが立っていて、登場人物それぞれの人生を描くから? それとも独特の世界観を語るには時間がかかるから? いいえ、人気があって、終わらせることができないのかも。意見はいくつか出ましたが、当然ながら、専門外の私たちに答えはわかりませんでした。
もしかしたら出版社と作家さんの間で、最初から「何巻までは続けましょう」という話があるのかもしれませんし「気付いたらいつの間にかこんなに壮大なストーリーになっていた」という方もあるのかもしれません。ただ話すうちにどんなジャンルにせよ、それだけ長く同じ作品を続けている作家さんは、それをライフワークとして掲げているのではないかと思いました。
お金を稼ぎ食べていくために必要だからというよりは、もちろんお金は大事だけど、ほかにも自分の楽しみを兼ねている、さらには待ち望むファンもいる、だからこそかき続けられている……この予想は大きく外れてはいないでしょう。お気に入りのライトノベルやコミックス、または歴史小説とともに、年を重ねて成長していく人も多いでしょうね。