先日母が友達と会話をしているのを聞きました。「最近○○の病院に通ってるの。××が悪くてね」「やっぱり年には勝てないよねえ。ああ、嫌だ」まるでがんと頭を叩かれたかのような衝撃。つい最近、同様の話を私も友達としたばかりなのです。
私と母は親子ですから、何十歳と年齢が離れています。それなのに話題が同じって……。体に不調が出るのは仕方がないとしても、こうやって気持ち的にも年をとっていくものなのかと思いました。せっかく年下の友達もたくさんいるのに、これではいけません。病は気からとも言いますし、なにか対策を練らなくては。
そんな私がとった方法は、十代のときに好きだった本を読み返すことでした。同級生と毎日くだらないことを話していたあの頃。今までの人生で一番感受性が豊かだったあの時期を思いだせば、若い気持ちを取り戻せるだろうと考えたのです。
結果は成功。懐かしの作品に浸り、ひとりでうきうきわくわくしています。友人にも「懐かしのあの話、いいよ」と勧めてみなくては。やはりこういうものは、皆で楽しむのがいいですからね。学生時代のようにわいわい騒いで、今の疲れは吹き飛ばしましょう。そしてまた、明日に向けて頑張るのです。
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年齢とともに変わる嗜好
最近、母がりんご酢にはまっています。先日は牛乳と混ぜ、昨日は炭酸水と混ぜて飲んでいました。「美味しいよ」と言われたので一口味見をしてみたら、なんて酸っぱいこと!飲んだ瞬間、体がぶるっと震えてしまいました。
こんな私ですが、大人になって以降、酢の物が大好きです。子供の頃は酸味が駄目でしたが、年をとるとわりと平気になるものですね。変化を知ったきっかけは、食に関するエッセイでした。どうしてその本を手に取ったのか、今となっては覚えていません。知らない作家さんの作品でした。酒の肴のようなメニューについて、ひたすら語っているというもので、その中にタコの酢漬けがあったんです。それを見て、美味しそうだなって思ったんですよね。さっそく母にリクエストし、食べてみたら思った以上に美味でした。それ以来、お酢が好きになったんです。なんて単純なことでしょう。ちなみに同じパターンで、お蕎麦もウーロン茶も好きになりました。それとオクラも!子供時代の私、好き嫌い多すぎですよね。
大人になってわかる味もありますし、逆に苦手になるものもあります。揚げ物とか昔は毎日でもよかったのに、今は連日だとちょっと辛いですものね。年齢とともに変わる嗜好が変わるなんて、ちょっとだけ不思議です。
びくびくぞくぞく、ホラー映画
子供の頃、怖い映画を見た後のお風呂は恐怖でした。本当に小さな頃はドアを開けたまま「お母さん、そこにいる?」とか言いながら入ったものです。大人になった今は成長したので、ホラー映画を見ないという選択肢をしています。昔はテレビの選択権がなかったので、悲しい事態になっていたのです。
しかし先日昼間、居間から悲鳴が聞こえました。何事かと思って行けば、母が幽霊の出てくるDVDを見ていたようで……。「夜にはとても見れないから」ということなのですが、昼でもなかなか厄介です。
ちなみにこの作品、私は小説で読みかけて、途中でやめました。文章でも怖いんですもの。暗くほの暗い作品です。一時期有名だったリングとか、そういうタイプですね。演者さんは平気なのかしらと思うけれど、聞くところによると、お祓いとか行くらしいですね。やっぱりいろいろ、よくないことが起こるのでしょうか。こうして書いているだけでもびくびくしている私です。
しかし友人の中には、ホラー大好きな人もいます。夜中でも食事中でも見られるのだとか。あの暗い画面がぞくぞくするそうです。びくびくとぞくぞく。擬音語なのに、その胸の内が明らかで日本語ってすごいなって思います。
サンタクロースが与えてくれるもの
突然ですが、子供の頃サンタクロースを信じていました。でもクリスマスプレゼントを貰ったことはありません。母が「うちは煙突がないから、サンタさんが来ないんだよ」と言ったときは、大泣きしたことを覚えています。「友達のうちは毎年来るのに……窓から入ってきて」と鍵を開けて置いたこともありますね。もちろん来てはくれませんでしたが。
玩具も高価ですから、今思えば両親も大変だったのだろうと思います。途中から父が、お菓子の入った靴を買ってくれるようになりました。そして今はそれを、私が母に買っています。あれ、中身の割には高いんですけどね。まあ年に一度の子供扱いです。本棚を片付けていたらクリスマスの絵本が出てきたので、懐かしく思いだしてしまいました。
今は彼が、架空の存在だと知っています。でもいないと知りながら小さな子には「いるんだよ」と話す大人は多いもの。自分は信じていないのに、なぜでしょうね。不思議です。でも、とてもいいことだと思います。なんとなくですが、子供を守ろう、愛そうという心が見える気がするんです。
夢のある存在は、私たちに想像する余地を与えてくれています。それが感受性を育てることにもつながるでしょう。赤い服、白いおひげのサンタクロースが、いつまでもやってきてくれますように。
パソコン作業と運動不足
座卓でパソコンを使用しています。以前は胡坐をかいていたのですが、あの姿勢は腰にとても負担がかかるようですね。なんでも背骨がまっすぐにならないのがいけないのだとか。あっという間に腰痛になり、今は正座をしています。しかし今度は腕がだるくて仕方ありません。おそらくは座高が高くなったことにより、キーボードを載せている机と自分の腕の高さがあっていないのでしょう。これらの調整は本当に微妙ですよね。以前、パソコン作業は立ったまますると、運動不足が改善すると聞いて試してみたこともありましたが、二日ほどで断念しました。なにせ慣れないことなので、体が痛くて仕方ないのです。昔からこの体勢だという友人はそれを乗り越えれば大丈夫と言ってくれましたが、全然集中できなくて止めてしまいました。
ちなみに私は、読書を座ってすることはほとんどありません。たいていは仰向けだったりうつぶせだったり、ごろんと横になっています。気楽に読むものだからという意識があるのでしょうね。ただ仰向けは腕が痛くなり、うつぶせは腰が痛くなります。パソコンでも読書でも痛みが……ということは、単に私の体力不足もあるのかもしれませんね。どうやら毎日のストレッチだけでは足りないようです。
小口がばらばらの理由
本棚を整理していて気がついたのですが、文庫の小説の小口って、とても揃っているものと、そうでもないところがありますよね。たぶん同じ方法で作っているのにどうしてだろうと不思議に思い、調べてみたところ。「天の部分、つまり上の部分が揃っていない物は紐のしおりがついているタイプで、後から裁断して揃えることができないから」と聞いて納得しました。たしかに揃ってないと思うものには、しおりがついていたからです。なるほど、ここを切ったら困ってしまいますものね。
本は好きで昔からたくさん読んでいますが、こういうことについては考えたことがありませんでした。文庫にハードカバーに雑誌にコミック。書籍の種類はいろいろありますから、トリビア的なものが、まだまだ隠されているかもしれませんね。いっそ、そういうネタを集めた本を出してほしいくらいです。それとも既にどこかにあるのでしょうか。
そういえば、友人が工場見学に行くのが趣味なのだそうです。見せてくれるところは結構あるんだよ、と言っていました。印刷会社の中はどうなっているんでしょう。いきなり見学場所を探すのは大変なので、まずは図書館に行って、工場の本でも探してみようと思います。
失いたくない日本の音
「さらさら」という言葉を聞いて、次に続くものはなんでしょう。私は「舞う」「流れる」を想像しました。風にのって砂が舞う様子、ゆったりとした小川を、水が流れる様子です。「さらさらの」とすれば、後ろの来るのが「髪」や「布」でも使えますね。
どれも全く違うものなのに、ひとつの単語からこんなにたくさんのものを思い浮かべることができるなんて、日本語は不思議なものです。外国の方からみると、どうやら我が国の言葉は難しいらしいですね。母国語として日常使いしている私には難易度がいまいちわかりませんが、これも文化の違いということなのでしょう。私たちが苦労して英語を学ぶのと一緒です。
私が日本文化の中でとりわけ美しいと思うのは、音を愛することです。音楽ではなく音。夏の風鈴に、秋の虫の声。風が葉を揺らし、波がさざめく。自然が生み出す美しい調べ。歌を歌えなくても楽器を演奏できなくても、耳にすることができるものばかりです。
昔はこれを、文化などと考えませんでした。でも外国の方に、それはただの雑音だよと言われて、日本独自のものだと知ったのです。夜遅くまで多くの店が営業し、日々喧騒の中で生活をしているとしても、けして失いたくはないものだと思います。
素敵なジェネレーションギャップ
インターネットを介して友達ができました。しかしそうとは言っても、私は彼女たちの本名も住んでいる場所も知りません。最近やっとお互いの年齢について話したのですが、驚きましたよ。二十代から四十代と、多岐にわたっていたからです。悩みごとの相談をし、一緒に冗談を言う間柄で、顔を合わせたことはないけれど、関係は誰もが対等でした。その中では、それこそ一回り以上も年の違う人達がいたのです。
現実社会では、どうしても同世代が集まります。その方が話題もあうし、気持ち的に楽だからです。実際の数字を知らないとしても、外見から判断もしますよね。でも相手の見えないネットだからこそ、こんなことがあるのです。広い可能性がとても素敵。もちろん、年を公開しても、関係は今まで通り。くだらないことで笑いあい、互いの愚痴を聞いたりしています。
そうそう、お互いに一番好きな本の紹介もしたんですよ。これはさすがにバラバラで、自分には縁がなかった話についても知ることができて面白かったです。ジェネレーションギャップというと良い意味には聞こえませんが、こうして刺激し合う関係もあるんですよね。リアルでの知り合い同様、彼女たちも大切にしていきたいです。
それぞれの精神安定剤
先日、今までに何十回と見ているDVDを、再試聴しました。ストーリーも台詞もわかっているのに繰り返してしまうのは、たぶん安心感なんだと思います。これを再生するのは、決まってちょっと疲れているとき。「なにか良いことないかなあ」と日に何度も呟くようになったら、視聴のタイミングです。
でも、じっくり画面を見つめているわけではありません。音声を聞きながらぼんやりしていることもあるし、本を読んでいることもあります。要は、あのDVDが流れているという状況が、私を安心させるんです。
このように精神安定剤になるものは、皆さんそれぞれ持っているかと思います。親戚の赤ん坊がいつもタオルを握り締めていることも、友達が勝負の日には決まって同じハンカチをポケットに入れていることも、同じ意味合いですよね。前者はまさしく安定剤、後者は験担ぎと言えるでしょう。ちなみに、落ち込んだ時に見る本というのも決まっていたりします。それは軽い気持ちで読める四コマ漫画。登場人物たちの明るい言動が、私の悩みなど些細なものだと吹き飛ばしてくれるのです。
長い人生を生きていく中で、これらのものには、きっと何度も助けられることでしょう。ずっと大切にしていかなければ、と思いました。
夢を育む妖精の通り道
子供の頃、イギリスのファンタジー、中でも幻想的な生き物が出てくるものが好きでした。ユニコーンやドラゴン、巨人に妖精などなど。異世界のものという点では、日本でいう妖怪みたいな感じかなとは思いますが、イメージはまるで違いますよね。どこかオドロオドロシイ和のものたちと、キラキラ華やかな洋のもの。たぶん、行ったことがない海の向こうだからこその憧れも混じっていたのでしょう。しかしこれは昔の話です。今は海外ファンタジーを手にとることは、すっかり少なくなっていました。
ところが先日、面白い記事を目にしたら、また読みたくなりました。西洋では、家や木に、小さなドアを作ることがあるらしいんです。それは不思議を愛する子供たちに、夢を与えるため。形も材質も様々のそれは、妖精のドアと呼ばれているそうですよ。
この話は、私に衝撃を与えました。外国の方の発想は、なんてお茶目で、素敵なんでしょう。子供たちはそれを見て、自分よりももっと小さなものの存在を想像するんですね。いいえ、私のような大人だって、考えてしまいます。
大人は子供が成長しただけの姿。だから当時の夢を持っていたっていいと思っています。そういうわけで、ファンタジー熱、再燃しました。