Category Archives: 身近なメモ

自宅でレンタルという選択

自宅でレンタルという選択

映画好きの友人が、有料配信サイトに登録したようです。昔はわざわざレンタル店に足を運ぶ必要があったのに、今は自宅から動かなくていいのですから、便利な世の中になりました。配信ではなくても、インターネットで注文すると、レンタルDVDを郵送してくれる会社もありますね。こちらはオンラインでボタンひとつ、というわけではないので、実際に作品を見るまでに少々時間がかかりますが、それでも自宅にいればいいわけです。
これは本の場合も同じです。さすがに郵送タイプの貸し出しは聞いたことがありませんが、オンラインで、電子書籍を数日借りるサイトはありますよね。購入するよりは価格も安く、ちょっと読んでみたい人にはぴったりでしょう。私もタイトルによって、レンタル、電子版の購入、紙の書籍と使い分けています。前は全て紙で揃えていたのですが、さすがに書棚に収まりきらなくなったので、自分なりに基準を設けたのです。
ちなみに友人は、全部電子版で買っていて、部屋にはほとんど本を置いていないのだとか。今後こういう人は、どんどん増えていくでしょう。しかし先日であったご年配の方は、「やっぱり紙の手触りがいいんだよ」とおっしゃっていましたね。好みは人それぞれなのだと実感しました。

美容室の雑誌と他人の視線

美容室の雑誌と他人の視線

病院の待合室に置いてある雑誌は、非常に多種多様ですね。女性向けのファッション誌もあれば、生活情報誌や男性向けの趣味のもの、健康関連もあります。いろいろな方が来るからそうなるのでしょう。反対に美容院に用意されているのは、結構ジャンルがかたよっていますね。以前友人が「美容室でどの雑誌を渡されるかで、自分がどう見られているかわかる」と言っていました。
確かに観察していると、お客さんの年齢によって、美容師さんが選ぶものが違うんですよね。それを知った時私は、まるで母の日のプレゼントのようだ、と思いました。『母』は自分にとってはひとりですが、社会的に見れば、これほど年齢層の広い女性の集まりはありません。プレゼントを買いに行っても、専用コーナーには、実にたくさんの商品が並んでいますもの。二十代……の方の子供はまだ小さいから買わないとしても、三十代からそれこそいわゆる『おばあちゃん』として孫のある『母』までをカバーするのですから、当然とは言えますが。
さて、美容室の雑誌は、いつも渡されても読まないのですが、今度は意識して見てみましょうか。私は親しくない方に、どう見られているのでしょう。ちょっとどきどきしますね。

旅行のお供に電子書籍を

旅行のお供に電子書籍を

電子書籍を見ることができるサイトはいくつもありますが、だからこそどこを使ったらいいのかわかりにくいですよね。そんなことを言っていたら、友達がおすすめを教えてくれました。さっそく見に行くと、カラフルかつわかりやすい画面に一目惚れ。しばらくはここを使ってみようと思います。
ちなみに彼女は、電子書籍リーダーも持っていて、それにはたくさんの作品を詰め込んでいるんですよ。いつも持ち歩いているので、どんな時にも読書は困らないのだと自慢げに教えてくれました。確かに、この間一緒に旅行に入った時も、私との話が一段落すると起動させていましたね。ちょっと漫画を読んで、また会話をしたりして。私は小説本を手にしていましたが、途中で読み終えてしまい、帰りはたいそう寂しい思いをしたものです。
そんなときでも、サイトに登録していれば、携帯で新しい本を読むこともできるのだと思うと、今更ながらうきうきしてきます。本当に便利な世の中になったものですね。ただこれ、サイトを誰かに見られたら、完全に趣味が露呈しますよね。パスワードだけはぜったい誰にもばれないようにしなくては。本棚を見られるのが照れくさいのと同じ感覚で、ちょっとだけ恥ずかしいんです。

知らないからこそ読めるもの

知らないからこそ読めるもの

先日、知人の娘さんがバレーを頑張っているのだという話を聞きました。こう書けばすぐに、バレーボールのことだとわかるでしょう。しかし実際は「それって踊るやつ?」「違う、ボール打つやつ」という会話がされています。発音が同じだからです。ちなみに別の知り合いの子供さんは、踊る方を楽しんでいるのだとか。こちらの場合は「リボンがね……」と言っていたので、すぐにバレエのことだとわかりました。
音が同じで書き文字が似ているというものはなかなかありませんが、ひらがなで書くと同じ表現なのに、違う意味を表すものは、わりとたくさんありますよね。たとえば橋と箸や、医師と意志などです。これは漢字を使えばいいですけれど、ひらがなだったら、文脈で判断するしかないでしょう。
このようなことがありますから、案外、児童書を読むのは大変なんですよね。いつだったか知り合いの子供が持っていた本を読ませてもらった時は、漢字が少なかったために難儀しました。あの時は、小さい子がすらすら読めるのは、漢字を知らないからなのだろうなと実感したものです。その子たちも、いつかは今の私と同じように感じるのでしょう。どうしてこんなに音の重なる言葉があるのか、調べてみたら、奥が深いのかもしれません。

不慣れな漢字は芸術の域

不慣れな漢字は芸術の域

先日、親戚一家と出かけた時のことです。そこにあったホワイトボードに、親戚の子供が嬉しそうに駆けていきました。「僕、自分の名前、漢字で書けるよ」と言うのです。彼は小学一年生なので、習っていない漢字を書けるということが、自慢だったのでしょう。周囲の大人が「書いてみて」と言うと、彼はマジックを手に持ち、背伸びをしながらボードいっぱいに、漢字を書きました。ただその書き順が面白かったのですよ。下から上、右から左と、正しいものとはまるで違います。私はそれを見た時、まるでアートだな、と感じました。
だって私達大人からしたら、線は上から下へ、左から右へと書くものです。それが文字というものだと、少なくとも私は思っています。しかし彼は、漢字の完成体のみを認識しているから、まるで絵をかくように、自由に描いていくのですよね。
他の大人は笑っていましたが、私にとっては目から鱗でしたし、その感性は素晴らしいと思いました。きっと、今後学校で習っていくうちに、こんなことはなくなっていくのでしょう。ただ心のどこかに、この自由な発想が残ってほしいとは思います。なんといっても、そう簡単にまねできることではありませんし、私は羨ましいと思いましたからね。

わからないことを調べる二種類の方法

わからないことを調べる二種類の方法

先日、最近の中高生はインターネット技術が高いという記事を読みました。私の場合はわからない事柄があったら検索サイトを使って情報を探しますが、学生はその他にSNSを当たったりもするらしいのです。それにより、今現在といった最新の話題が手に入るのですって。なるほど、と思いました。
しかし反面で、わからない物事を調べるのならば、まずは書籍を使うようにと書いているサイトもありました。インターネットでは検索した用語の情報が上から一覧で現れますが、書籍ならば関連した物事も見ることができるからです。確かに、偶然見たページに書かれていた文言から、芋づる的に知識が広がっていくことって多いのですよね。それこそ学生時代は、よく経験したものです。
私の場合は昔から紙で調べることに慣れているので、机の上には国語辞典を常備していますし、深く知りたいことがあれば図書館へ向かいます。古いものも高価なものも、今は遠方に保管されている書籍ですら容易に見ることができるので、本当にありがたいんですよ。ただ、ちょっとしたことならば、パソコンで探してしまいますね。やはり文明の機器インターネットと、昔からある本、どちらも同じように扱えるのが、一番いいとは思います。

ストレス社会を生き抜く術

ストレス社会を生き抜く術

最近ニュースサイトを見る機会が増えているのですが、健康に関する話題が多いですね。これを食べるといい、あれをするといいと、書いてあることを全部守ったら、それだけで一日が終わってしまいそうな勢いです。実はこれは、ストレス社会を生きる人に向けた情報ではないかと、私は思っています。書店でも健康を書いた雑誌を見るからです。
昔ならば病気とは思われていなかったものに病名がつき、しかし『気のせい』で片付けられる体調変化も増えています。肉体的には異常がないのに患者は症状を自覚しているというものですね。西洋医学ではなんともできなくとも、東洋医学、すなわち漢方や針治療ではどうにかなるというケースも多いといいます。
かく言う私もツボの本を愛用しています。ちょっと調子が悪いかなと思ったら病院にかかる前に、自分で対処してみるのです。病は気からというくらいのことでしたら、これですっかり良くなります。結局は『自分で治した』という思い込みが大事なのかなと考えたりもしますね。もちろん、私の場合ですよ。
記事に振り回されては困りますが、得て無駄な知識でもありません。ストレスが気になる方は、ネットの情報をクリックしてみてもいいのではないでしょうか。

趣味も知識も持ちつ持たれつ

趣味も知識も持ちつ持たれつ

世の中には流行りがあります。それは本の世界にもあって、そういうときはたいてい似たような内容の作品が出版されていることが多いですよね。その波にのることができれば、素敵なお話よりどりみどり。しかし最近の私は天邪鬼なのか、どうもそれに反抗してばかりです。ついに友人に「ニッチな方向進んでいるね」と言われてしまいました。その言葉の意味がわからず聞き返せば、少数派だと説明されて、そんなものかなと思っています。
何でも結局は、自分が夢中になれるかどうか、なのですよね。流れと反していても、周りに同じことを好んでくれる友人がいなくても、私は私の道を突き進みたいと考えてしまいます。もしかしたら、いつかそれが深い知識になって、誰かに頼られるかもしれません。そう考えればかなり貴重な経験を積んでいるわけです。
しかし皆が知っているものをまるで知らないのもどうかと思うので、知識のためにちょっとだけ齧りはします。入口だけ覗いておけば、あとは好きな人がたくさん教えてくれますからね。結局こういった趣味に関することも、持ちつ持たれつなのかもしれませんね。きっと、教えて教えられて長い時間をかけて、自分特化の道を確立していくのです。

たくさんの書類のしまい方

たくさんの書類のしまい方

我が家では書類をしまうためのボックスは、縦型と横型の両方を愛用しています。A4よりも高さがある物は縦のほうがいいし、引き出しにしまう場合やサイズが小さい場合は横の方が便利です。紙が多いので、マメに片付けないとぐちゃぐちゃになってしまうんですよね。面倒なことではありますが、必要な物なので放置するわけにはいきません。
以前は全部しっかりクリアファイルに入れていました。しかしいざ中身を交換するときに、中の紙を引きだしてまた入れるというのは相当手間です。そのため今はクリップで綴じてボックスに入れています。これならいらなくなったらざっくり手放すだけですからね。資料はどうせ傷むものと、綺麗に保管しようとするのを諦めたんです。
時々不思議に思うのですが、漫画家さんや作家さんなど、たくさんの紙に囲まれて生活している人達は、それらをどのように保存しているのでしょう。先日某漫画家さんは、編集部から送り返されてきた大量の原稿を、押し入れに片付けたと言っていました。一度本になっていることを考えれば必要ない気もしますが、やっぱりとっておくものなのですね。こういうのが死後何年とかして、お宝になるのでしょうか。時々文豪の直筆原稿発見とかいう記事を見るので、ふと思いました。

オリジナル文具で癒される

オリジナル文具で癒される

知り合いが万年筆のインクを作ったと言っていました。そんなことができるんですね。普段ボールペン愛用の私には知らない世界で、びっくりしました。別の子はノートやスマホカバーをデザインしているそうです。自分の気に入ったものが作れるって、とっても魅力的。ノートはぜひ試してみたいですね。そういうお店があるのか、それともインターネットでできるのかしら。ちょっと調べてみようと思います。
学生時代は新学年が始まる度に揃えていた文具も、大人になると使えればいいという感じになってしまいました。見た目よりも機能重視です。もちろんそれはそれでいいのですが、疲れてきたときなどはやっぱり、お気に入りのデザインものが癒されますよね。自宅だったらそのへんに置いてあるぬいぐるみやポストカードを見れば気持ちが和みますが、出先ではそうはいきません。気分転換も兼ねて、いろいろと探してみようかしら。いつも持ち歩いているのはボールペンとメモだから、それならいくらでも種類がありそうです。
そういえば先日書店で、文房具の本がありましたよ。表紙をちらっと見ただけなので中身はわかりませんが、あれにも素敵なものがたくさん載っていたんでしょうね。わりと文房具愛好家は多いようです。