読みかけの雑誌を脇に置く時、以前はそのまま、平置きにしていました。でもそれだと、結構場所をとるんですよね。小さなテーブルだと、すぐにスペースがなくなってしまいます。しかしそうかといって、本棚の一角にちょっと立てて並べるには、雑誌は柔らかすぎるのです。倒れて丸まってしまったら、あとからまっすぐにするのが大変でしょう。そういうわけでしばらく考えていたところ、最近、いい案を発見しました。針金のハンガーにかけるのです。
それはインターネットで偶然見かけ、試してみたものでした。読みかけのページにハンガーを挟むのですが、その後は壁にかけるから場所をとることもなく、表紙が折れてしまうこともありません。ただ長時間使っていると、該当ページがちょっと開いた感じになってしまうので、それは気を付ける必要があるでしょう。でも、もともと読みかけのものをちょっと避けるだけのことと考えれば、それほど問題にはならないと思います。これに最初にチャレンジした人は、よく思いついたものです。
その後も探してみれば、ハンガーにぬいぐるみをかけて飾っている人などもいるようです。床の上に置くとかさばるから、空間利用ということでしょうか。これもいい方法だなあと思いました。
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涙でデトックス
最近、古い作品を見て泣くことが増えました。前に見たときは平気だったのに、どうしてでしょう。同世代の友人に聞いてみたら「年齢を重ねることで、涙腺が弱くなっているんじゃないの?」とのこと。確かに年を取ると涙脆くなるとは言いますが、もっとおばあちゃんになってからだと思っていました。びっくりです。
大人になると、悲しいときも我慢して、たとえ目頭が熱くなっても、涙はこぼれないようにしてしまいがちです。しかし本来、泣くことは、デトックスになっていいらしいですね。それを知ったとき、私は、泣くための本を探してみようと思い立ちました。ジャンルはこだわらず、童話や絵本、漫画に小説など、書棚の奥にあるものも引っ張り出しての検討です。
すると、案外たくさんあるんですよ。楽しい話の中にある感動が一番ですが、悲恋や報われない未来も目にしましたね。もちろん、喜びも見つけましたよ。人間、心の底から嬉しい時にも感涙しますからから、これは当然のことですね。しかしストーリーの流れの関係上、たいてい最大の衝撃とセットになっていることが多く、それなりにショックな内容も覚悟しなくてはいけません。ハッピーエンドの前に闇があるのは、人生も小説も一緒ということですね。
今の私をつくるもの
昔から、原作がある作品を映像化することは多々ありますよね。あれは、もともと人気があるものを選ぶのか、それとも製作者側が「ぜひこれで作りたい」というのか、どちらなのでしょう。私は以前は、当然のように、人気が先行していると思っていたのですよ。でも原作発表後、十年以上たってから映像化されるものもあると知ってしまえば、首を傾げざるを得ません。それだけ根強いファンがついていて、媒体を変えた発表を待ち望まれているということなのかもしれませんが。
しかし「どうして今?」という時期であっても、好きな作品がドラマや映画、あるいはアニメになるのだとしたら、私は大歓迎です。理由はどうあれ、それまで大事に応援してきたキャラクターが、動いて喋るというのは、やはりすごいことでしょう。たぶん落ち着いていた気持ちも盛り上がり、子供のように大騒ぎをして、はしゃいでしまうと思います。
私はもう大人ですが、こうやっていくつになっても夢中になれるものがあることは、とても幸せですよね。古い作品を見る度に、幼い頃に楽しんでいたものも、思春期に憧れていた話も、今熱中している物語も、すべてが今の私をつくる手伝いをしてくれているんだなあと実感しています。
スキャナーを使って省スペースに
先日部屋を片付けたところ、雑誌の山ができました。付箋が貼ってあるページを見てみると、ああこの記事をとっておきたかったんだなということがわかります。しかしこの一枚のためにまるまる一冊保存というのは、はっきり言ってスペースの無駄ですよね。私は思い立ったが吉日とばかり、さっそくカッターを持ってきて、雑誌の解体にとりかかりました。とりあえず必要なところだけ抜き出して、あとはスキャナーで読み込み、パソコンに取り込みます。これで整理は完了です。
プリンターは随分長く使っているのですが、スキャン機能を覚えたのはそれほど昔ではありません。友達が、本を持ち歩くのは重くて不便なので、スキャナーで読み込んだデータを電子書籍に入れている、と聞いたのがきっかけした。最初はそんなことができるのかと驚きましたし、それだけの手間を書ける友人の情熱が、信じがたかったものです。
でも実際にやってみると、確かに便利なのですよね。最初は説明書と首っ引きだった私も、今はそれほど苦労なく、データを作ることができるようになりましたよ。これで紙の劣化も保存場所も気にすることなく、多くの情報を手元に残していけます。本当に、世の中便利になっているものです。
芸術を保存するということ
いつだったかテレビで、本の上手な保存方法が説明されているのを見たことがあります。光にあてない、湿気に気を付ける、埃を避けるなどは私も知っていましたが、最後に言われていたのは「付箋を使わない」でした。あの糊がページに残るのが、いけないのですって。
だから本当は、図書館で借りてきた本に付箋を貼るのは駄目なのだとか。そういえば、館内でコピーをお願いする時は、ページのところに小さなメモ用紙を挟んで目印にするんですよね。万が一傷んだときの修復も、専用の道具を使うと聞いたことがあります。「セロハンテープで直さずに、破れたまま持ってきてください」と注意されている人もいました。
そう考えると、紙をそのままの状態で保存するのは、非常に大変なことなのですね。それこそ大昔の書籍や絵画が、美術館で薄暗い中、陳列されている理由がやっとわかりました。現代の技術をもってしても、それくらい気を遣わなければ、貴重なものを後世に残していけないということなのでしょう。
そういえば美術品の中には、模写を展示し、現物は表に出さないというものもあるらしいです。それも価値ある物を守るための苦肉の策なのでしょう。写しでも十分美しいのですから、本物はどうなのか……想像をかきたてられますね。
自宅でレンタルという選択
映画好きの友人が、有料配信サイトに登録したようです。昔はわざわざレンタル店に足を運ぶ必要があったのに、今は自宅から動かなくていいのですから、便利な世の中になりました。配信ではなくても、インターネットで注文すると、レンタルDVDを郵送してくれる会社もありますね。こちらはオンラインでボタンひとつ、というわけではないので、実際に作品を見るまでに少々時間がかかりますが、それでも自宅にいればいいわけです。
これは本の場合も同じです。さすがに郵送タイプの貸し出しは聞いたことがありませんが、オンラインで、電子書籍を数日借りるサイトはありますよね。購入するよりは価格も安く、ちょっと読んでみたい人にはぴったりでしょう。私もタイトルによって、レンタル、電子版の購入、紙の書籍と使い分けています。前は全て紙で揃えていたのですが、さすがに書棚に収まりきらなくなったので、自分なりに基準を設けたのです。
ちなみに友人は、全部電子版で買っていて、部屋にはほとんど本を置いていないのだとか。今後こういう人は、どんどん増えていくでしょう。しかし先日であったご年配の方は、「やっぱり紙の手触りがいいんだよ」とおっしゃっていましたね。好みは人それぞれなのだと実感しました。
美容室の雑誌と他人の視線
病院の待合室に置いてある雑誌は、非常に多種多様ですね。女性向けのファッション誌もあれば、生活情報誌や男性向けの趣味のもの、健康関連もあります。いろいろな方が来るからそうなるのでしょう。反対に美容院に用意されているのは、結構ジャンルがかたよっていますね。以前友人が「美容室でどの雑誌を渡されるかで、自分がどう見られているかわかる」と言っていました。
確かに観察していると、お客さんの年齢によって、美容師さんが選ぶものが違うんですよね。それを知った時私は、まるで母の日のプレゼントのようだ、と思いました。『母』は自分にとってはひとりですが、社会的に見れば、これほど年齢層の広い女性の集まりはありません。プレゼントを買いに行っても、専用コーナーには、実にたくさんの商品が並んでいますもの。二十代……の方の子供はまだ小さいから買わないとしても、三十代からそれこそいわゆる『おばあちゃん』として孫のある『母』までをカバーするのですから、当然とは言えますが。
さて、美容室の雑誌は、いつも渡されても読まないのですが、今度は意識して見てみましょうか。私は親しくない方に、どう見られているのでしょう。ちょっとどきどきしますね。
旅行のお供に電子書籍を
電子書籍を見ることができるサイトはいくつもありますが、だからこそどこを使ったらいいのかわかりにくいですよね。そんなことを言っていたら、友達がおすすめを教えてくれました。さっそく見に行くと、カラフルかつわかりやすい画面に一目惚れ。しばらくはここを使ってみようと思います。
ちなみに彼女は、電子書籍リーダーも持っていて、それにはたくさんの作品を詰め込んでいるんですよ。いつも持ち歩いているので、どんな時にも読書は困らないのだと自慢げに教えてくれました。確かに、この間一緒に旅行に入った時も、私との話が一段落すると起動させていましたね。ちょっと漫画を読んで、また会話をしたりして。私は小説本を手にしていましたが、途中で読み終えてしまい、帰りはたいそう寂しい思いをしたものです。
そんなときでも、サイトに登録していれば、携帯で新しい本を読むこともできるのだと思うと、今更ながらうきうきしてきます。本当に便利な世の中になったものですね。ただこれ、サイトを誰かに見られたら、完全に趣味が露呈しますよね。パスワードだけはぜったい誰にもばれないようにしなくては。本棚を見られるのが照れくさいのと同じ感覚で、ちょっとだけ恥ずかしいんです。
知らないからこそ読めるもの
先日、知人の娘さんがバレーを頑張っているのだという話を聞きました。こう書けばすぐに、バレーボールのことだとわかるでしょう。しかし実際は「それって踊るやつ?」「違う、ボール打つやつ」という会話がされています。発音が同じだからです。ちなみに別の知り合いの子供さんは、踊る方を楽しんでいるのだとか。こちらの場合は「リボンがね……」と言っていたので、すぐにバレエのことだとわかりました。
音が同じで書き文字が似ているというものはなかなかありませんが、ひらがなで書くと同じ表現なのに、違う意味を表すものは、わりとたくさんありますよね。たとえば橋と箸や、医師と意志などです。これは漢字を使えばいいですけれど、ひらがなだったら、文脈で判断するしかないでしょう。
このようなことがありますから、案外、児童書を読むのは大変なんですよね。いつだったか知り合いの子供が持っていた本を読ませてもらった時は、漢字が少なかったために難儀しました。あの時は、小さい子がすらすら読めるのは、漢字を知らないからなのだろうなと実感したものです。その子たちも、いつかは今の私と同じように感じるのでしょう。どうしてこんなに音の重なる言葉があるのか、調べてみたら、奥が深いのかもしれません。
不慣れな漢字は芸術の域
先日、親戚一家と出かけた時のことです。そこにあったホワイトボードに、親戚の子供が嬉しそうに駆けていきました。「僕、自分の名前、漢字で書けるよ」と言うのです。彼は小学一年生なので、習っていない漢字を書けるということが、自慢だったのでしょう。周囲の大人が「書いてみて」と言うと、彼はマジックを手に持ち、背伸びをしながらボードいっぱいに、漢字を書きました。ただその書き順が面白かったのですよ。下から上、右から左と、正しいものとはまるで違います。私はそれを見た時、まるでアートだな、と感じました。
だって私達大人からしたら、線は上から下へ、左から右へと書くものです。それが文字というものだと、少なくとも私は思っています。しかし彼は、漢字の完成体のみを認識しているから、まるで絵をかくように、自由に描いていくのですよね。
他の大人は笑っていましたが、私にとっては目から鱗でしたし、その感性は素晴らしいと思いました。きっと、今後学校で習っていくうちに、こんなことはなくなっていくのでしょう。ただ心のどこかに、この自由な発想が残ってほしいとは思います。なんといっても、そう簡単にまねできることではありませんし、私は羨ましいと思いましたからね。