子供むけの記事で読んで、へえ、そうなんだと驚きました。封書やはがきを送るだけと思っていた郵便物。実は他のものも送れるそうなんです。それも物に直接切手を貼って!記事によると、縦・横・高さの合計が90センチ以内、重さ4キロまでのものなら郵便物になるとか。そのために地域で有名なスルメやこけしを販売しているところもあるんですって。最近はインターネットが普及していますから、手書きの手紙を送る人も減っています。メールを打てばすぐに返事がもらえるし、そうでなければラインで話したり、個人宛ですらないことはツイッターで呟いたり。どれも便利なツールですが、ときどきは、こうしてわざわざ切手代を払って、なにかを送るのもいいものかもしれません。ああそういえば昔、暑中見舞いにうちわを送るキットが売られていた気がしますね。うちわ……今はあまり使いませんねえ。我が家ではちらしずしを作るときくらいかな。そのくせ夏、いろいろな店やお祭りで配っていますけれども、多くの人は、自宅ではエアコンや扇風機とお友達ですよね。不便の中にも楽しさはあり、ツールの使い分けが必要なんだ。そんなことを思いました。ああそういえば、友達に送らなければならないものがあるのを思い出しました。喜んでくれるかな。楽しみです。
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迷子の男の子
買い物に向かった近所のショッピングセンターで、号泣している子供に出会いました。幼稚園児くらいの男の子です。おもちゃのコーナーからよたよたと歩いてきたその子は、大声で「ママ、ママ、いなくなっちゃった」と泣いていました。大きな目は真っ赤になって、大粒の涙の粒がぼろぼろこぼれて。もしかしたら後ろからママが追ってこないかなとちょっと様子を見ていたのですが、女性は来ても、ママらしい人は来ず。放っておくことなんてできません。「ママ、いなくなっちゃったの?」とすぐに声をかけました。「いなくなっちゃった」「おもちゃのとこで?」「うん、でもママいない」探したんでしょうね、一人で、泣きながら。手を繋いでもう一度おもちゃ売り場に戻ってママを探そうと思いましたが、その子は歩く元気もないようです。「だっこしていい?」と聞いて、抱きあげました。嫌がられるかなと思ったけれど、全然そんなことはなくて、ああさみしかったんだなと思いました。一緒に探してあげたかったけれど、私には予定があって時間がなかった。お店の人にその子を預けたのですが、なんか置き去りにするみたいでこっちが悲しくて。ママ、ちゃんと捕まえててあげて!周りの大人も早く声をかけてあげて!早くママに会えますように。元気に笑えますように。かわいい小さな男の子へ。
未来を変えるために、中から外へ
来年母と行く予定の講演会のチケットが今日届きました。代金引換とは聞いていたのですが、全然忘れていてお金を準備していなかったので、焦りました。お財布の中にお金があってよかった!講演会なんてほとんど行ったことはありません。というか、そもそも出不精なんですよね。家でのんびり本を読んだり、パソコンでやっぱり小説を読んだり、そんなことをしているのが幸せというくらい、インドアな生活をしています。いいえ、してきました。でも最近、それじゃいけないなと思いなおしまして、興味のあることにはめんどくさがらず、進んで足を向けようとしています。ありきたりな表現ではありますが、人生は一度きり。したいことをしなくても、したくないことをしても、一度きりなんです。だったらしたいことをしたほうがいいですよね。他人に何を言われても、自分の道を貫いた方がいいですよね。そう思いいたったのは、がんばっている人を見たからです。私より年上なのに、夢に向かってがんばっている人。彼を見ていたら、自分もやらなければならない気持ちになりました。講演会は、小さいけれど、私の一歩なのです。すぐに人は変われません。でも一年後なら?五年後なら?動けば未来は変わると信じています。
漫画とアニメで育ってきました
ときどき、自室にある本の並びが変わっていることがあります。私は本は好きでも本棚での並び方にこだわりはありませんので、「ああ誰かが見たな」と思う程度です。でもきっちり置き直しておけばばれないのに、と思うことはあります。昔、兄が同居していた頃。彼はとても几帳面で、本が少しでもずれていると怒るような、そんな人でした。こだわらない私は勝手に借りて、適当に返していたんですが、よく怒られたものです。まあ当然ですよね、今思えば。当時は「そんなことくらいで怒るなんて」と逆切れしたりもしたものですが……嫌な妹です。でもそんな兄はもう結婚して子供もいて、趣味に時間を割くことは少なくなってしまったようです。あんなに漫画が好きだったのに、子供にはあまり見てほしくない様子。漫画でもアニメでも、いいものはたくさんあるのに。自分はそれで育ってきたのに。勿体ないことです。漫画もアニメも小説も、子供の想像力を育てるにはいいと思うんですけどねえ。学校に行って勉強して、それだけじゃつまらないでしょう。やっぱりたくさん遊んで大きくならなければ。私は未だに漫画もアニメも小説も好きで、そんなの見てるのなんて言われることもありますが、恥ずかしいと思ったことは一度もありません。そのおかげで楽しい日々を過ごせていますしね。
母は歩くテレビ欄
今読んでいる本がとても素敵なのですが、もう終盤に差し掛かっているのでとても残念です。しっとり落ち着いたふたりが主役の恋愛小説。ああ、こんな恋がしたい!と思ってしまいます。恋に恋する年齢はとうに過ぎていることは自覚しているんですけどね。でも私、不思議なことに、恋愛を読むのは好きなんですが、見るのはあまり好きではありません。どうしてでしょうね。文字だと想像できるからいいのかしら。例えば相手の男の人はこんな人かな、とか。ここの場面ではどんな表情をしているんだろうとか。映像だとそのものズバリが見えますからねえ……なんて言ったら、俳優さんに失礼ですね。でも仕方がない。私は想像したいタイプです。そんなことを思っているせいか、私は俳優さんにも女優さんにも、とても疎いです。まあ単にテレビを見ないからという話もあります。逆にテレビっ子の母はいろんな人を知っていて、この俳優さんの奥さんは誰で子供は誰、とか普通に頭に入っていて、驚かされます。昨日の夕飯とか明日の予定は忘れているのに、何曜日の何時にこのドラマがあるとか、きっちり覚えていますからね。まあ好きだからこそなんでしょうが、歩くテレビ欄と一時期呼んでいたほどです。私は歩く字引き……とかに、なりたいなあ。なんか物知りぽくて、かっこよくないですか?
文章に慣れるということ
新聞の読者投稿欄に、小学生が送ったものがありました。夏休み、親に言われて新聞のコラムをノートに書き写して、わからない言葉を辞書で調べる、ということをしたそうです。最初は面倒で仕方がなかったけれど、そのうちに知らないことを知ることが楽しくなっていったと彼女は書いていました。最後は、新聞がたくさんのことを教えてくれたと結んであり、ああ立派な子だなあと感心しました。コラムを書きうつすのは、高校のときに小論文対策でやりました。新聞をノートに貼って、その下に書き写す。そしてわからない言葉を調べる。起承転結はっきりした文章を学ぶにはそれが一番手っ取り早いと、国語の先生は言っていましたね。まあ、そんなことをしながらも、受験に小論文は必要なかったのですが。文章に触れることは、とても大事なことだと思います。最近、算数で計算ができても、文章題ができない子が案外多いらしいです。なんと、問題文の意味がわからないんですって。本を読まないからだと言われているそうです。先ほどの小学生は、きっとこんなふうにはならないでしょう。だって新聞のコラムなんて、高校生ですら面倒なものを毎日読んでいたんですから。絵本でも童話でもいい、とにかく、子供には文章に慣れてほしいと思っています。
森林浴で心も体もリラックス
先日母親と散歩に出かけた時に、とある神社に行きました。歩いて行ける距離で、けっこう立派な神社がそんな場所にあるなんて、私は知りませんでした。母親も滅多にそこには行かないそうです。
石で作られた龍の口から水が流れ出ていて、とてもおいしそうな水が流れていました。一口飲んでのどをうるおしました。おいしい水でした。2mくらいの牛の石碑もあり、圧倒されました。大きな杉の木がたくさんあり、緑も多く、とても気持ちがよかったです。久しぶりに森林浴を楽しむことができました。
マイナスイオンがたっぷりで、緑に囲まれていると、心が落ち着きます。静かで、車などの音も聞こえず、代わりに小鳥の声が聞こえてきてイヤなことも忘れられますね。
神社や公園など緑がたくさんあるところに行くと、本当に気持ちが落ち着きますね。疲れると公園などでのんびりしたくなります。緑の多い場所に行くと、自律神経のバランスが整えられるのだそうです。医学的にも心と体を癒す力があるのが解明されているそうですよ。森林浴をすると、気分がよくなるのは気のせいではないのですね。緑の多い場所に行くと、気持ちもリラックスして、さわやかな気持ちになりたい時には、公園や神社など静かで森林浴ができる場所に行くのが一番ですね。
性格は顔に出やすい?
性格は顔に出やすいと言われますね。確かに、顔を見ると何となく、怖そう、とか悩みが多そう、といった顔をしている人がいますよね。それは年を取れば取るほど、顕著に出やすいのだそうです。悩みが多かったり、ストレスがたまっていると、眉間にシワが寄りやすいのだそうです。確かに、何かに悩んでいたりすると、眉間にシワが寄ってしまいます。不満ばかり感じている人は口角が下がってしまうのだそうです。確かに、何かに耐えなければならなかったり、気分が悪いと口はへの字になってしまいますよね。それが続くと口角が下がってしまうのですね。
反対に、幸せなことが多い人が笑っていることも多く、目尻のシワも優しげに見えると言われています。目尻のシワは気になるところですが、年を取って目尻のシワがいい感じに優しく見える女性っていますね。そういった人はとても幸せそうで、そばにいるだけで温かい気持ちになれます。
そう考えると、普段の生活の中で、幸せな気持ちでいるか、悩んでばかりいるかで顔が変わってしまうというのは理解できますね。それは大変です。怖い顔にはなりたくありません。できるだけ、日常生活でも笑っているようにしましょう。できるだけポジティブでいることも大切ですね。笑う門には福来るですしね。
病気じゃなくても行きたくなる病院
『天国までの百マイル』という浅田次郎さんの小説があります。この小説のモデルとなった病院に何度か行ったことがあります。第一印象は、ホテルのような病院、という印象でした。ホテルのような、と言うととても贅沢ない感じがしますね。でも、病院はキレイな方がいいですよね。
病院が好きな人はほとんどいないでしょう。治療や検査で痛い思いをするのがイヤ、恐ろしい病気です、と言われるのが怖い、時間がかかる、病院のにおいが嫌い、など理由は人それぞれですね。私はそれらすべての理由で病院は好きではないです。ただ、その病院は病院の特有の薬の匂いとか、イヤなにおいはしません。最近はにおいに配慮している病院も多いですよね。また、病院のところどころに飾ってあるオブジェが、心をホッと和ませてくれるのです。明るくて、広い空間があって、病院にいるということをうっかり忘れてしまうよう雰囲気なのです。
病院に行くだけで心は暗くなりますから、そういった明るさや居心地の良さはとてもうれしいですよね。それとそこで働く人たちも、伸び伸びと仕事をしている雰囲気で、それがこちらにも伝わってきます。さらに、レストランはおいしくて、見晴も最高、なのも魅力です。病気じゃなくても、そこに行きたくなる、という素敵な病院なのです。
物事の正しい意味
子どものころ、「早起きは三文の特」ということわざ自体は知っていましたし、その意味も「早く起きると良いことがある」ということも知っていましたが、「三文」がなんなのか分かっていませんでした。辞書や教科書に、きちんとした答えは書いてあったのでしょうけれど、きっとタイミングをずらして、吸収するチャンスをなくしてしまったのだと思います。適度に曲解して、「早起きすると、良いことが三回起きる」と思っていましたね。「三文」という呼び方について違和感を持っていなかったので、思いこみは恐ろしいものだと、半ばあきれてしまいます。使い道を間違うことは大抵ないのでしょうけれど、詳しくつっこまれたらアウトでしたね。大人になる前に、「三文」がお金の単位なのだということ、知っておけて良かったと思います。知ったフリをしているどころか、自分の考えに間違いがないと思っているあたりが問題なんだ、と過去の自分だから少し強い口調でせめてしまうのですが、実際「子どもにはよくあること」と言えばそれまでなんですよね・・・。「情けは人のためならず」とか、大学に入ってもクラスの半分以上が、よくある間違い方をしていたのを思い出します。自分は偶然知っていたので、間違った友達をからっていましたが、一歩間違えば誰だってそちら側なんですよね。