鍋に木苺とたっぷりの砂糖を入れて、焦がさないようにぐつぐつ煮込むと、美味しいジャムができあがるそうです。ポイントは、一度にたくさん食べるわけではないので、健康とか気にせずに、思いきって砂糖を入れること。保存食という観点から見ても、これは重要なのですって。
私はこの作り方を、魔女が出てくる小説の中で知りました。本当にこんな簡単でいいのかしらと思っていたら、後日テレビでブルーベリージャムを作っている場面が、まさにこれとほとんど同じ。違っていたのはレモン汁を入れたことくらいです。疑っていたわけではないけれど、テレビを見たことで、小説のイメージも広がりましたね。ああ、またあの本を読みたくなってしまいました。今度、書棚を探してみることにしましょう。基本的に、今現在興味のあるものが前に出ているので、長く手にとっていないものは、発掘しないと出てこないのです。
その小説ではほかに、花の上にシーツをおいて、お日様の光をたっぷりあてて干すシーンもありました。私の想像では、イギリスの田園地方の雰囲気でしょうか。大きな湖と青々とした緑があり、自生している苺やブルーベリーがあって、季節によって、様々な花が咲き乱れる……まさに憧れの小説そのままなイメージです。
年始にほしい、本の福袋
近所の書店で、書籍の福袋が売っていました。少々難ありなものが紙袋いっぱいに詰まって千円。安いですよね。ただその中身が、全部児童書だったのです。おそらくは子供達が立ち読みした際に、ちょっとカバーが破れてしまったとか、そういうのを入れてあるのでしょう。本は何でも読みますが、中身も対象年齢もわからない児童向けはさすがに、大人の私が買うには勇気がいります。だって千円あれば、他の大人向け小説が買えますもの。これが一般書籍だったらなあと思いつつ、読書好きの子供が買ってくれることを祈るばかりです。
そういえば大昔に一度、小説の福袋を買ったことがあるのを思いだしました。紙袋に入っていて中身がわからないようにしてある、中古本です。これが一冊三百円。面白がって何冊か購入して、普段はあまり読まなかった方の作品を読み、それからしばらくはその方のものを作家買いしていました。はまってしまったのです。
書店員の方が、一冊紙袋に入れただけだけれど、私にとってはまさに、出会いをもたらしてくれる『福』袋でした。お正月に、こうしたものを増やしてくれたら、年の始まりがもっと楽しくなるよなあと漠然と思います。服だって宝石だってあるのだから、本があってもいいですよね。
指の怪我と選択権
先日、友人がうっかり、親指の先をのこぎりで切ってしまったそうです。切ったのは皮一枚で大事には至らなかったそうなのですが、敏感な箇所なので、鈍痛が続いていたとのこと。何をするにも不便だったという彼女が、一番嫌だったのは、パソコン操作だったというからびっくりです。確かにブラインドタッチをするためには、どの指一本怪我しても大変ですけれど、他に何かあるでしょう?と思ってしまいました。
ただ、友人の話を聞いて納得しましたね。指に包帯がぐるぐるでろくなことはできないから、家事などは免除され、空いた時間をパソコンで読書しようと思ったけれど、ついいつも通りにキーボードを触りかけて「あ、だめだ」となる、というのです。たしかにそれでは不便だったでしょう。ちなみに「紙の書籍も持ちにくいから、読書自体がしんどい、スマホがいい」と言っていましたよ。確かにあれならば、怪我をしていないほうの手で持てば、なんとかなりそうな気はします。
しかし本を読みたいと思った時に、これだけの方法がすぐにあるなんて、今は本当に便利な世の中ですね。私も学生時代、授業で同じように親指を切ったことがありますが、あのときはどうしていたんだっけ……記憶が遠いです。
就寝前の幸福のために
この間、夜中にプリンターのインクがなくなってしまいました。大好きなオンライン小説を、プリントアウトしていた時のことです。あと一ページ分なのに!と思いつつも、時間的に開いているお店はあるはずもなく。インターネットで購入しても、すぐには届きませんからね。諦めて就寝しました。
印刷するのは黒い文字の所なのに、他の色のインクがないからといって、止まってしまうプリンターの仕組みは、まったくもってわかりません。全てのインクを混ぜて使っているとはいうけれど、黒だけならば混ぜる必要が無いのではないでしょうか。……などと、愚痴っても仕方がないことですね。ちゃんと予備を用意しておくべきでした。
これは全部揃えてクリップで綴じて、いつでも手に取れるようにベッドの脇に置くのです。就寝前にパソコンの画面を見ると、ブルーライトで眠りが浅くなると聞いて、それならばよく読むものだけはこうしておこう、と決めたのでした。著作権云々の問題もあるでしょうが、自分で見るだけなら問題ないですよね。これで寝不足改善しつつ、素敵な作品を読むための時間もキープできるのですから、印刷の手間も、インクを買いに行かなければいけないことも、たいして手間ではないと思うことにしましょう。
自室を映画館にする方法
先日年上の知り合いに、自宅を映画館にする方法を聞きました。特別な機材がなくても大丈夫と言うので、いったいどんな技術かと思いきや、彼女は一言「部屋を暗くすればいいんだよ」ですって。「あとはできれば、ヘッドフォンで音を聞くといいよ」とも付け加えられ、なるほど、と納得してしまいました。
暗い中で明るい画面を見ると、目にはあまり良くない気もしますが、たしかに映像はよく見えますよね。それにヘッドフォンなら大きな音で聞いても、周囲に迷惑がかかりません。耳元で聞こえる声は、臨場感を出してくれるでしょう。「あと必要なのは、キャラメル味のポップコーンね」と笑った彼女は、テーマパークで購入した入れ物に、実際にポップコーンを用意するらしいですよ。なんとも手間のかかったことをするものです。でも子供が一緒にいる場合は、それだけで大喜びになるのだとか。
今時のテレビは大きなサイズも多いですから、そこまでやれば、立派な自宅映画館になること間違いなしです。しかもわざわざDVDを借りてこなくても、テレビの放送をチェックして、見たい作品の放送日に合わせれば、余計なお金はかかりません。本当によく考えるなあと、その発想を尊敬してしまいました。
目が、欲しいと叫んでいるんです
ふわふわのパンや、いいにおいを漂わせているお惣菜など、お腹がすいたときにスーパーマーケットに行くと、つい食べきれないほどの食材を買ってしまいますよね。口が食べたいのではなく、目が欲しがっているからです。同じ理由で、ダイエットをしている人がレシピ本を眺めるのは、とても危険なのですって。美味しい料理の写真を目にしたら、ぜったいに食べたくなってしまいますものね。気持ちはわかります。
こう考えると、平和な毎日も、案外誘惑に満ちているものです。食べ物のほかには、テレビのショッピング番組もいけません。「あと○個です!」と言われると、ちょっと欲しいかもしれないと思っていただけの商品を、どうしても今すぐ手に入れなくては、という気持ちになるからです。
他に危険なものは、私の場合は、書店の平積みですね。表紙が見えていると、背表紙だけを目にするよりも、かなり素敵に見えませんか。それで、特にほしいと思っていなかった本を表紙買い……よくあることです。気持ちは晴れ晴れしますが、お財布はすぐに寂しくなってしまいます。ただそれが、素晴らしい作家さんを知るきっかけになったりもするので、危険だけではないところが、ゲーム性があるといいますか、おもしろいところです。
書評に必要なのは客観性
友人が、書評ブログを書いています。私とは読書のジャンルがまるで違うので、時々見てみるととても面白いです。へえ、こんな作品を読んでいるのか。こういうことを考えているのか、などと、長く付き合っても知らないことが、たくさん見つかるのですよ。書籍の評価も、刺激を貰いたいときや、新しい出会いを開拓したいときに、役に立っています。
ただ彼女曰く、これは読んだ本のではないのだとか。読書をしたら、まずは自分なりの感想をノートにまとめて草稿を作り、それを吟味してブログにあげているのですって。どうやら、かなり手間暇をかけている様子……だからこそ、あんなに素晴らしい内容でまとまっているのですね。いい結果は、一朝一夕にはだせないということがよくわかりました。
私が今までに書いた感想といえば、学生時代に宿題だった、読書感想文くらいでしょうか。自分にとって感動したものを語るのは得意だけれど、誰かの役に立つように、第三者として客観的な目線で物事を伝えるのは、難しいと思ってしまうんですよね。だから書評も、書いたことはありません。それに私の場合は感覚で「これは好き」「あれは苦手」と分けたりもするので……冷静に言葉を重ねられる彼女は、本当にすごいと思います。
料理は基本が大事
にんじんのきんぴらを作りました。以前はきんぴらと言えばごぼうだったのですが、今はジャガイモやれんこんなども使いますね。これは全て、人から勧められたものです。メニューに新しいものを取り入れたい時は、インターネットで検索したり、友達に尋ねたり。レシピ本を買わなくても、情報交換ができる友人がいるなんて、幸せだなあと思います。しかもこれは、それぞれに味があり、とても美味しいのですよ。
ただ、最初はやっぱり、信頼できる本を一冊買うのがいいでしょうね。料理もその他のことも、基本ができてこそ応用ができますし、手の抜きどころもわかるというものです。実際私は、最初にネットで評判の良かった物を購入しました。ずっと母に習ったレシピで作っていたのですが、分量があいまいだったり勘だよりだったりで、味がなかなか安定しなかったのです。
しかし今ではそんなこともなく、身内と食べるものならば、問題なく作ることができるようになりました。だからこそ、友人のちょっとした教えでも、美味しいものができるのです。凝ったものができるわけではないので、料理がすごく得意だとは言えないけれど、成長ということでいえば、そのスピードは自慢できると思っています。
寄り添い歩く別の道
先日会った友達が「最近怖い夢を見ることが多い」と言っていました。自分が交通事故を起こしたり、なにかに追いかけていたり、全体のイメージだけを覚えたまま、怖い!と感じて飛び起きるのだとか。彼女は「疲れているのかな」なんて苦笑いしていたのですが、私はつい、夢占いの本で、聞いた内容を調べてしまいました。曰く、なにかとても気にしていることがある時に見る、とのこと。これはなんとなく、本人に言いづらいですね。それが示すことが正しければ、彼女は表に見せない苦労を抱えているということになります。
もちろん、多くの人はそうでしょう。いくらSNSが発達し、人と繋がるのが簡単になっても、全てを見せているわけではありません。むしろその日の良いことだけをフォーカスしてブログに書く、という人もいます。世の中のあらゆる人が見られる場所ということを考えれば、それは正しい選択でもあるでしょう。
ただ、相手が親しい友達となれば、なんとなく寂しいような気もするのです。全部を打ち明けることだけが友情ではないけれど、学生時代はそれこそ、お互いに秘密がないくらいにいろいろなことを話していましたから。私たちは一緒に並んではいるけれど、別の道を歩いているんだなと実感した出来事でした。
ブログで知る作家の日常
最近、お気に入りの作家さんのブログを毎日読んでいます。結構マメに更新してくださるので、とても楽しみなんですよ。話題はたいてい、日常の事に関して。出版したものがあればそのことについて書かれています。友達の中には、作家は創作活動だけしていればいいという厳しい意見を持っている人もいますが、私はこうして、いろいろな事を知ることができるのが、うれしいです。だって遠い存在だと思っていた人が、ぐっと近づいた気がするんですもの。
だから同じ意味で、書籍のあとがきも好きですね。しかしものによっては、あとがきがないものもあるので、それはちょっと残念です。たぶんページ数の規定やら出版社の事情があるのでしょうが、昔は十ページ以上、なんてこともあったのに。ただ、それで本編のページ数が少なくなってしまうのなら、悲しいですけどね。そのあたり、なかなか難しいところです。
かつては、漫画家さんのファンクラブに入っていた時期もありました。不定期に送られてくる冊子を、宝物のように保存していたものです。今はファンクラブ自体がなくなってしまっているけれど、当時のものはしっかり終ってありますよ。もう手に入らない物なので、手放す気になれないのです。