書評に必要なのは客観性

書評に必要なのは客観性

友人が、書評ブログを書いています。私とは読書のジャンルがまるで違うので、時々見てみるととても面白いです。へえ、こんな作品を読んでいるのか。こういうことを考えているのか、などと、長く付き合っても知らないことが、たくさん見つかるのですよ。書籍の評価も、刺激を貰いたいときや、新しい出会いを開拓したいときに、役に立っています。
ただ彼女曰く、これは読んだ本のではないのだとか。読書をしたら、まずは自分なりの感想をノートにまとめて草稿を作り、それを吟味してブログにあげているのですって。どうやら、かなり手間暇をかけている様子……だからこそ、あんなに素晴らしい内容でまとまっているのですね。いい結果は、一朝一夕にはだせないということがよくわかりました。
私が今までに書いた感想といえば、学生時代に宿題だった、読書感想文くらいでしょうか。自分にとって感動したものを語るのは得意だけれど、誰かの役に立つように、第三者として客観的な目線で物事を伝えるのは、難しいと思ってしまうんですよね。だから書評も、書いたことはありません。それに私の場合は感覚で「これは好き」「あれは苦手」と分けたりもするので……冷静に言葉を重ねられる彼女は、本当にすごいと思います。

料理は基本が大事

料理は基本が大事

にんじんのきんぴらを作りました。以前はきんぴらと言えばごぼうだったのですが、今はジャガイモやれんこんなども使いますね。これは全て、人から勧められたものです。メニューに新しいものを取り入れたい時は、インターネットで検索したり、友達に尋ねたり。レシピ本を買わなくても、情報交換ができる友人がいるなんて、幸せだなあと思います。しかもこれは、それぞれに味があり、とても美味しいのですよ。
ただ、最初はやっぱり、信頼できる本を一冊買うのがいいでしょうね。料理もその他のことも、基本ができてこそ応用ができますし、手の抜きどころもわかるというものです。実際私は、最初にネットで評判の良かった物を購入しました。ずっと母に習ったレシピで作っていたのですが、分量があいまいだったり勘だよりだったりで、味がなかなか安定しなかったのです。
しかし今ではそんなこともなく、身内と食べるものならば、問題なく作ることができるようになりました。だからこそ、友人のちょっとした教えでも、美味しいものができるのです。凝ったものができるわけではないので、料理がすごく得意だとは言えないけれど、成長ということでいえば、そのスピードは自慢できると思っています。

寄り添い歩く別の道

寄り添い歩く別の道

先日会った友達が「最近怖い夢を見ることが多い」と言っていました。自分が交通事故を起こしたり、なにかに追いかけていたり、全体のイメージだけを覚えたまま、怖い!と感じて飛び起きるのだとか。彼女は「疲れているのかな」なんて苦笑いしていたのですが、私はつい、夢占いの本で、聞いた内容を調べてしまいました。曰く、なにかとても気にしていることがある時に見る、とのこと。これはなんとなく、本人に言いづらいですね。それが示すことが正しければ、彼女は表に見せない苦労を抱えているということになります。
もちろん、多くの人はそうでしょう。いくらSNSが発達し、人と繋がるのが簡単になっても、全てを見せているわけではありません。むしろその日の良いことだけをフォーカスしてブログに書く、という人もいます。世の中のあらゆる人が見られる場所ということを考えれば、それは正しい選択でもあるでしょう。
ただ、相手が親しい友達となれば、なんとなく寂しいような気もするのです。全部を打ち明けることだけが友情ではないけれど、学生時代はそれこそ、お互いに秘密がないくらいにいろいろなことを話していましたから。私たちは一緒に並んではいるけれど、別の道を歩いているんだなと実感した出来事でした。

ブログで知る作家の日常

ブログで知る作家の日常

最近、お気に入りの作家さんのブログを毎日読んでいます。結構マメに更新してくださるので、とても楽しみなんですよ。話題はたいてい、日常の事に関して。出版したものがあればそのことについて書かれています。友達の中には、作家は創作活動だけしていればいいという厳しい意見を持っている人もいますが、私はこうして、いろいろな事を知ることができるのが、うれしいです。だって遠い存在だと思っていた人が、ぐっと近づいた気がするんですもの。
だから同じ意味で、書籍のあとがきも好きですね。しかしものによっては、あとがきがないものもあるので、それはちょっと残念です。たぶんページ数の規定やら出版社の事情があるのでしょうが、昔は十ページ以上、なんてこともあったのに。ただ、それで本編のページ数が少なくなってしまうのなら、悲しいですけどね。そのあたり、なかなか難しいところです。
かつては、漫画家さんのファンクラブに入っていた時期もありました。不定期に送られてくる冊子を、宝物のように保存していたものです。今はファンクラブ自体がなくなってしまっているけれど、当時のものはしっかり終ってありますよ。もう手に入らない物なので、手放す気になれないのです。

語学の学習に必要なもの

語学の学習に必要なもの

先日友人が、外国人の知り合いの日本語が、素晴らしく上手だという話をしてくれました。しかし彼女は「でもたぶん、初めて会う人はとてもびっくりすると思うよ」と言います。なぜかと思って尋ねれば、「漫画で、独学で覚えたんだって」とのこと。要は通じる言葉を話せるけれど、単語選びがどこか違う、と言うのです。バトル漫画が愛読書と言うだけあって、擬音語もたくさん使うし、話す仕草も大きくて「一緒にいると楽しいけれど、人目を引く」のだそうです。
それを言葉通りに想像すると、かなりユニークな方に思えますね。もしかしたら、なかなか人に言いづらい事もずばっと口にしてしまうような事もあるかもしれません。ただ友人は、そんな知りあいの言葉も、よほどでなければ訂正したりはしないのだとか。理由は「それがいつか、彼の個性になると思うから」ですって。
たしかに私が昔外国に行った時も、現地の知人達は、私の確実に拙い英語から、なんとか意味をくみ取ろうとしてくれました。委縮して話せなくなるよりはずっといい、と言っていたと、言葉に堪能な友達が訳してくれたことを覚えています。新たなことを学ぶのに必要なのは、勇気と、周囲の人の愛情だと実感した出来事でした。

明日の読書のためのリラックスタイム

明日の読書のためのリラックスタイム

電子書籍はだいたいパソコンで読むことが多いのですが、気が付くと画面を睨み付けるようにして、見入っています。こうなると肩はこるし、目の周りの筋肉は固くなってしまうし、姿勢が悪いせいで背中も痛くなるし、最悪ですよね。これを改善するためには、ホットアイマスクが一番!とアドバイスを貰いました。
友人が実践しているのは、濡らしたタオルをビニール袋に入れて、電子レンジで温めて適温にし、それを目に当てるというものです。市販品もいいけれど、買えばお金がかかるから、こうして自分で対処しているとのことでした。別の友達は、お風呂の中でタオルを絞って、顔に載せていると言っていましたね。
温めるのすら手間だったので、お風呂の方を試してみたのですが、これはいいですよ。別の子が、目に光が入らない様に電気を消すともっといいと言うのでそうしてみると、温もりが体中に染みこんでくるようでした。一気に脱力して、癒されるとでも言いましょうか。これなら何の手間も苦労もなく、一日の終わりに疲れをいやすことができます。パソコンやスマホの画面に見入っている方は多いでしょうから、筋肉をほぐし、翌日も楽しい読書をするためにも、ぜひお勧めしたいです。

愛用のしおり多種多様

愛用のしおり多種多様

先日知り合いに、ちょっと高価なお菓子をいただきました。そしてその中に入っていたお店の宣伝のカードのイラストがとてもかわいかったので、しおりがわりに使っています。隅に穴を開けて、リボンでも結ぼうかしらと思ったけれど、ちょっと面倒だったのでそのままです。本を開いて、こんなにきらきらしたものが入っていたら、幸せになるでしょうね。これはぜひ、ドキドキするような恋愛小説を読む時に使用したいと思っています。
しおりは何種類か持っていますが、愛用しているのは、どこかの出版社のキャンペーンで貰ったプラスチック製のもの、福祉センターのお店で買った和紙のもの、母がお土産で買ってきたステンドグラス風のものなどですね。あとは代理品として、親戚の子に貰ったメモ帳一枚、ティッシュペーパーの箱のイラストを切り抜いたものなどもあります。とにかく小さくて薄くてかわいいものならば、なんでも挟んでみる感じです。
ブックカバーのほうは革製、布製、包装紙、A4のコピー用紙などなど、本のサイズや気分に合わせていろいろなので、あまりこだわりはありませんね。ただ鞄に入れて持ち歩く時は、本を保護するためにも、丈夫なものを使うようにしています。

忘れちゃいけないラジオ配信

忘れちゃいけないラジオ配信

最近、友人に教えてもらったラジオ番組を聞いています。昔は深夜、局番を合わせて、雑音交じりの番組をよく聞いていたものですが、最近はそんなこともなくなりましたね。なにせインターネットを介して聞けるので、音がとてもクリアですし、配信期間が特定の一時間とかではなく、次の開始までの一週間、いつでも聞けるというものも少なくないからです。これですと自分の生活スタイルに合わせて、好きな時に楽しむことができますから、とても便利です。
ただ、だからこそ、ついうっかり聞き逃してしまうというのもあります。よく欲しい本を買った後は、安心してしまってなかなか読まないなんて言う人がいますが、それと同じでしょう。いつでも大丈夫と思っているから、結局後回しになってしまうのです。私もそれで何度、涙を流したことか……。その点昔は、これを聞かねばもう二度目はないという状態だったので、その番組に対する熱意というか情熱があった気がします。
そういうわけで今の私は、配信日をカレンダーに書きこんでいます。そうすれば毎日見るから忘れることはないですし「聞けるのはあと何日間だ」と明確にわかるので、ぎりぎりまで伸ばすこともなくなるからです。ちょっと助かりますよね。

名刺とコースターはしおりの代わり

名刺とコースターはしおりの代わり

以前友人から本を借りた時、中に彼の名刺がはさまっていました。いったい何事かと思ったのですが、本人曰く「ほかに紙がなかったから、しおりの代わりにした」とのこと。レシートでもメモの切れ端でもなんでもありそうなのに、あえて、写真付きの名刺を、ケースからだすことを選んだのですね。思わず笑ってしまいました。
しかしそういえば、私も以前、それ以外に手元にないからという理由で、コースターを挟んだことがあります。しかも母手製の布のものなので、ちょっと厚いんですよ。他にも、その場を動くのが面倒だからという理由で、ティッシュペーパーを使った時もありましたね。ただ前者の時は、すぐに別の紙を入れ直しました。コースターを使ったままで、本に変な癖がついてしまったら、残念だと思ったからです。
そして例の友人は、続きのシリーズを貸してくれたのですが、それにも名刺が入っていて、本当に笑いました。だって二冊連続で入っていたということは、彼はわざわざ新しいものを、別の本に挟んだのですよ。せめて前使ったものをリサイクルすればいいのに……と思っても今さらですね。さすがに三冊目には、普通のしおりを使っていましたが、まったく、面白い人です。

イメージを具現化するの映像

イメージを具現化するの映像

「小説はイメージを自分で作るものだから」と言われて、なるほどと納得したことがあります。たとえば映画やドラマなど映像があるものは、登場人物の見た目も声も、場面の在り方も、既に決まっていますよね。しかし文字のみで世界が作られている小説は、そのどれもがイメージにすぎず、たとえば『長い髪の美人な女性』という文字を見たら、読み手の数だけの長髪美人が存在するということになるのです。
これは素敵なことだと思うのですが、一方で、だからこそ小説が映像化されるという時には、いつだって賛否両論が起こるのでしょう。あの人物をこの俳優さんがやるのは、考えている人物像と違う、あるいは、ぴったりだという論争です。万人の希望にそうのは当然不可能な話ですし、あくまで制作側の考えもありますから、これは仕方がないことですよね。
それに逆に言えば、そうやって話題になることで、その作品に興味がなかった人の関心を引きつけるという効果もあると言えるでしょう。商業効果的には、作品を見てもらうことが一番ですから、これはある意味有効な策かもしれません。それに今では、原作とは別の結末を迎えるものも多いですしね。それぞれが別次元と考えれば、二重に楽しめるというのも面白いところでしょう。