先日友人が、外国人の知り合いの日本語が、素晴らしく上手だという話をしてくれました。しかし彼女は「でもたぶん、初めて会う人はとてもびっくりすると思うよ」と言います。なぜかと思って尋ねれば、「漫画で、独学で覚えたんだって」とのこと。要は通じる言葉を話せるけれど、単語選びがどこか違う、と言うのです。バトル漫画が愛読書と言うだけあって、擬音語もたくさん使うし、話す仕草も大きくて「一緒にいると楽しいけれど、人目を引く」のだそうです。
それを言葉通りに想像すると、かなりユニークな方に思えますね。もしかしたら、なかなか人に言いづらい事もずばっと口にしてしまうような事もあるかもしれません。ただ友人は、そんな知りあいの言葉も、よほどでなければ訂正したりはしないのだとか。理由は「それがいつか、彼の個性になると思うから」ですって。
たしかに私が昔外国に行った時も、現地の知人達は、私の確実に拙い英語から、なんとか意味をくみ取ろうとしてくれました。委縮して話せなくなるよりはずっといい、と言っていたと、言葉に堪能な友達が訳してくれたことを覚えています。新たなことを学ぶのに必要なのは、勇気と、周囲の人の愛情だと実感した出来事でした。
明日の読書のためのリラックスタイム
電子書籍はだいたいパソコンで読むことが多いのですが、気が付くと画面を睨み付けるようにして、見入っています。こうなると肩はこるし、目の周りの筋肉は固くなってしまうし、姿勢が悪いせいで背中も痛くなるし、最悪ですよね。これを改善するためには、ホットアイマスクが一番!とアドバイスを貰いました。
友人が実践しているのは、濡らしたタオルをビニール袋に入れて、電子レンジで温めて適温にし、それを目に当てるというものです。市販品もいいけれど、買えばお金がかかるから、こうして自分で対処しているとのことでした。別の友達は、お風呂の中でタオルを絞って、顔に載せていると言っていましたね。
温めるのすら手間だったので、お風呂の方を試してみたのですが、これはいいですよ。別の子が、目に光が入らない様に電気を消すともっといいと言うのでそうしてみると、温もりが体中に染みこんでくるようでした。一気に脱力して、癒されるとでも言いましょうか。これなら何の手間も苦労もなく、一日の終わりに疲れをいやすことができます。パソコンやスマホの画面に見入っている方は多いでしょうから、筋肉をほぐし、翌日も楽しい読書をするためにも、ぜひお勧めしたいです。
愛用のしおり多種多様
先日知り合いに、ちょっと高価なお菓子をいただきました。そしてその中に入っていたお店の宣伝のカードのイラストがとてもかわいかったので、しおりがわりに使っています。隅に穴を開けて、リボンでも結ぼうかしらと思ったけれど、ちょっと面倒だったのでそのままです。本を開いて、こんなにきらきらしたものが入っていたら、幸せになるでしょうね。これはぜひ、ドキドキするような恋愛小説を読む時に使用したいと思っています。
しおりは何種類か持っていますが、愛用しているのは、どこかの出版社のキャンペーンで貰ったプラスチック製のもの、福祉センターのお店で買った和紙のもの、母がお土産で買ってきたステンドグラス風のものなどですね。あとは代理品として、親戚の子に貰ったメモ帳一枚、ティッシュペーパーの箱のイラストを切り抜いたものなどもあります。とにかく小さくて薄くてかわいいものならば、なんでも挟んでみる感じです。
ブックカバーのほうは革製、布製、包装紙、A4のコピー用紙などなど、本のサイズや気分に合わせていろいろなので、あまりこだわりはありませんね。ただ鞄に入れて持ち歩く時は、本を保護するためにも、丈夫なものを使うようにしています。
忘れちゃいけないラジオ配信
最近、友人に教えてもらったラジオ番組を聞いています。昔は深夜、局番を合わせて、雑音交じりの番組をよく聞いていたものですが、最近はそんなこともなくなりましたね。なにせインターネットを介して聞けるので、音がとてもクリアですし、配信期間が特定の一時間とかではなく、次の開始までの一週間、いつでも聞けるというものも少なくないからです。これですと自分の生活スタイルに合わせて、好きな時に楽しむことができますから、とても便利です。
ただ、だからこそ、ついうっかり聞き逃してしまうというのもあります。よく欲しい本を買った後は、安心してしまってなかなか読まないなんて言う人がいますが、それと同じでしょう。いつでも大丈夫と思っているから、結局後回しになってしまうのです。私もそれで何度、涙を流したことか……。その点昔は、これを聞かねばもう二度目はないという状態だったので、その番組に対する熱意というか情熱があった気がします。
そういうわけで今の私は、配信日をカレンダーに書きこんでいます。そうすれば毎日見るから忘れることはないですし「聞けるのはあと何日間だ」と明確にわかるので、ぎりぎりまで伸ばすこともなくなるからです。ちょっと助かりますよね。
名刺とコースターはしおりの代わり
以前友人から本を借りた時、中に彼の名刺がはさまっていました。いったい何事かと思ったのですが、本人曰く「ほかに紙がなかったから、しおりの代わりにした」とのこと。レシートでもメモの切れ端でもなんでもありそうなのに、あえて、写真付きの名刺を、ケースからだすことを選んだのですね。思わず笑ってしまいました。
しかしそういえば、私も以前、それ以外に手元にないからという理由で、コースターを挟んだことがあります。しかも母手製の布のものなので、ちょっと厚いんですよ。他にも、その場を動くのが面倒だからという理由で、ティッシュペーパーを使った時もありましたね。ただ前者の時は、すぐに別の紙を入れ直しました。コースターを使ったままで、本に変な癖がついてしまったら、残念だと思ったからです。
そして例の友人は、続きのシリーズを貸してくれたのですが、それにも名刺が入っていて、本当に笑いました。だって二冊連続で入っていたということは、彼はわざわざ新しいものを、別の本に挟んだのですよ。せめて前使ったものをリサイクルすればいいのに……と思っても今さらですね。さすがに三冊目には、普通のしおりを使っていましたが、まったく、面白い人です。
イメージを具現化するの映像
「小説はイメージを自分で作るものだから」と言われて、なるほどと納得したことがあります。たとえば映画やドラマなど映像があるものは、登場人物の見た目も声も、場面の在り方も、既に決まっていますよね。しかし文字のみで世界が作られている小説は、そのどれもがイメージにすぎず、たとえば『長い髪の美人な女性』という文字を見たら、読み手の数だけの長髪美人が存在するということになるのです。
これは素敵なことだと思うのですが、一方で、だからこそ小説が映像化されるという時には、いつだって賛否両論が起こるのでしょう。あの人物をこの俳優さんがやるのは、考えている人物像と違う、あるいは、ぴったりだという論争です。万人の希望にそうのは当然不可能な話ですし、あくまで制作側の考えもありますから、これは仕方がないことですよね。
それに逆に言えば、そうやって話題になることで、その作品に興味がなかった人の関心を引きつけるという効果もあると言えるでしょう。商業効果的には、作品を見てもらうことが一番ですから、これはある意味有効な策かもしれません。それに今では、原作とは別の結末を迎えるものも多いですしね。それぞれが別次元と考えれば、二重に楽しめるというのも面白いところでしょう。
ネットの文章が横書きの理由
友人に言われて気付いたのですが、日本語で書かれた文章は、書籍ならば縦に読むことが多いですよね。しかしインターネットで見られるものは、横書きになっているものも少なくありません。なぜでしょう。幅はパソコンの画面サイズで決まっていても、縦のラインはどんどん下に伸ばしていけば、いくらでも長くなるため、スクロールが面倒だからでしょうか。でもそれなら、一定の高さを決めてしまうのもありですよね。
本当の理屈は分かりませんが、発展しないのは、たぶんそれほど需要がないからなのでしょう。指摘されたから気にはなったけれど、実際問題としては、私は現状でなにも不満を感じていませんしね。それに、切り替えの機能がついている小説サイトなどもありますから、こだわりを実践しようと思えば、限定された場所に限ってではありますが、できないことでもないのです。
ただ、インターネット上の文章はこのままでいいとしても、たとえば文庫本や新聞が全部横書きだったら、たぶんすごく違和感があるでしょう。英字新聞でもあるまいし、と思うだろう自分を想像して、苦笑してしまいました。そうなると、縦書き横書きの区別は、やっぱり適材適所ということなのでしょうね。
クリアファイルの使い方さまざま
最近、クリアファイルが溜まってきています。いろいろなところで貰うから、いつの間にか集まってしまうんですよね。家電の説明書を入れたり、ちょっとしたメモ書きや雑誌の切り抜きを整理するために使っていますが、なにせ貰いものばかりなので、絵柄に統一性がなく、分かりにくいのが難点です。
しかしそう言うと友達は「外にラベルを付ければいいじゃない」とあっさり述べました。たしかに、見えるところにシールを貼って、中身を書いておけば、そのまま並べても、ずいぶん解り易くなりますね。今までは一枚ずつ出して内容物を確認していたので、それはかなり便利そうです。さっそく棚の手前側にくるところに、小さなシールを貼りました。
その他、友人はこれで、書棚カバーを作っているようです。ファイルを切り開いて、棚の手前部分に垂らすのですって。要は簡易の扉がわりですね。絵柄を選べば目にも楽しいし、埃も入らなくなるし、一石二鳥だと言っていました。私が思いついたのは、素敵な絵柄のものを壁に貼って、飾るくらいのことしかなかったのに、まったくよく考えるものです。さて、まだ十枚ほどは余っていますし、なにか使えるパターンがないか、探ってみましょうか。
ながら読書の結果
仕事に家事に育児にと、大忙しの知り合いが、毎週必ず二枚以上のDVDを見ているそうです。映画ならば一枚最低二時間ほど。それが二枚で四時間となれば、なかなか大変ですよね。いったいどうしてそんな事ができるのかと聞いたところ、DVDは常にレコーダーの中に入れておいて、隙間のちょっとした時間に再生しているのですって。「洗濯物をたたみながら、歯を磨きながらでも見られるよ」と言うので、それはすごい、と思いました。
しかし後者の読書は、私も昔、やっていました。使うのは手だけですから、目は自由なんですもの。この時間を使わない手はないと思ったのです。しかし、後日、それは諦めましたよ。歯医者で衛生士さんに「もっと頑張って磨いてくださいね」と言われてしまったからです。おそらく気持ちが本に向いてしまい、手がおざなりになってしまっていたのでしょう。気付けば確かに長時間はたっている、けれど肝心なところに歯ブラシが当たってなかったのです。
だから知人にも、気を付けてねとは言っておきました。そうはいっても、文字を追わなければいけない本よりは、画面を見ていればいいDVDのほうが、難易度は低そうですけれどね。隙間時間の活用も、ある意味難しい問題です。
日記帳の行く末
本棚を片付けていたら、文庫タイプの日記帳が出てきました。以前まとめて処分したと思っていたのだけれど、小説に紛れたものが、残っていたようです。日付を見ると、どうやら三年ほど前のものらしく、当時何をしたっけ、と考えてしまいました。ページをめくらなかったのは、絶対に恥ずかしい過去が隠れている、と思ったからです。
これは、学生時代の卒業アルバムや、文集を見返す時の恥ずかしさに似ています。子供時代の自分はとても純粋で、大人の私が見れば可愛らしいのだけれども、こんなにことを書いていたのか、と頭を抱えるタイプのものですね。しかも三年前なんて、薄ら記憶が残る時期ということもあり、あいた期間が微妙すぎます。とりあえず、また書棚の奥にしまい直しておきました。
これがあと何年か後には、懐かしいものになるかもしれませんね。そしてもっと遠い未来には、私以外の誰かが偶然見つけて、読むようになったりして。よくドラマや映画でありますよね、おばあちゃんの日記帳が……とか。イメージはそんな感じです。しかしあれはまさに、恥ずかしすぎます。やっぱり締まっておかずに、丁重に処分しておいたほうがいいかしら。どうしようか、しばらく考えましょう。