料理好きの友人が、レシピ帳を作っているそうです。先日彼女自身が入院したからでしょうね。自分に万が一のことがあったら、家族の誰かが料理をすることになる、その時に見てほしいとのことでした。普段彼女以外が台所に立つことはあまりないらしいので、いざというときに困らないようにと考えたのです。
たしかに、包丁を持つ機会が少ない人にとっては、書店に並ぶどんなに簡単なレシピ本でも、難しいと感じますよね。れなりに経験のある人は手の抜きようもわかるけれど、未経験の人はそれもわからないですし、塩少々の『少々』ってどのくらいなの、ってなってしまいますからね。
その点彼女の作っている物は、塩は何回振ること、などと書かれています。容器によって出方に差があると言ったところで、これなら大抵大きな間違いは起こらないでしょう。それとこれが一番なるほどと思ったのですが、作りながら見られるようにと、クリアファイルに収まっているのです。台所という水場と紙は、相性が悪いですからね……それで私も、慣れない頃は、本のページをぐにゃぐにゃにしてしまっていました。このレシピ帳を使わずにすめばいいとうのが、正直なところですが、友人の気遣いは、尊敬します。
今に残る日本文化
以前どこかで、日本の文化が廃れてきている、という記事を読みました。たしかに現代、毎日和服で生活をし、和食だけを食べて過ごしている人は少数派でしょう。利便性から洋服を選び、食の欧米化などは、もうずいぶん昔から言われています。
そこで思いだしたのが、年末の過ごし方です。クリスマスを過ごした後に、大掃除をして、年越しそばを食べて、初詣。なんとも和洋折衷と言いますか、不思議な感じですよね。しかも神社へ赴くのは、年に一度、このときだけという人だって多いはずです。それが良いとか悪いとかではなく、昔の人とは違うのだろうなあと、漠然と感じました。
ですが、これくらいでいいという気もするのですよ。クリスマスやバレンタインを楽しみながら、年を越したりお盆にご先祖をお迎えしたりして、十月にはハロウィンで、ごちゃごちゃになりつつある文化が、私はとても愛おしいんです。だってこれが、世界の中で発展してきた日本だという気がするのですもの。
なんでも変化は訪れます。でも、今の世の中、一色だけに染まりきることは難しいでしょう。だからこそ、多くを受け入れて、大事な物はすべてを消してしまわずに、継承していく。それが重要なのだと思います。
同じ本を複数持っている理由
昔の小説や漫画が、新装版として再度出版される時、ある程度の巻数がまとめられたりしますよね。私はそれを、とても良いことだと思っています。興味を持って読んでみようと思っても「全20巻です」と言われたら、躊躇ってしまうときもあるからです。でも当時の1・2巻が1冊になって全10巻だったら、最初のハードルは低くなるでしょう。
ただこれにも、短所はあるのですよ。昔のもので持っていても、つい、新装版も欲しくなってしまうこともある、ということです。内容は変わらないとわかっているのに、物によっては追加もなにもないのに、本当に『つい』としか言えません。そのくせ読むときは、慣れた昔の方だったりするのですけどね。
そのため、私の書棚を始めて見た人は、たいてい驚きます。同じ本がたくさんある、というのです。でもこういうことをするのは、私ばかりでもないでしょう。友人は、特典が欲しくて集めた結果、同じ作品のDVDを何枚も持っていますし、ほかには「初版が欲しいけれど、勿体なくて読めないから、次の版も買う」という子もいました。本の帯を集めている人もありましたね。たった1冊の本に対しても、いろいろな考えがあるものだあなあ、と思ったものです。
小さな言葉に親近感
本棚に並んでいるコミックスを見て思うのは、大体二種類のパターンがあるなあ、ということです。ひとつは、デザインがほとんど統一されているもの、もうひとつは、文字の配置などは同じだけれど、色合いや一部、描かれているキャラクターなどが違っているものです。最近は、一冊ずつ違う人物がいる場合が多いけれども、昔は、すべて絵柄が繋がっているものも見たような気がします。
もちろん、どちらの方がいいということはありませんよ。どのようなデザインであれ、大好きなコミックスがずらりと並ぶさまは、至福の喜びを与えてくれるからです。ただ、最近はSNSなどの使用により、作家さんと読者の距離が近くなっていますから、「次の巻は何色でまとめようかな」などという言葉を見ると、微笑ましい気持ちにはなります。私達から見れば、特別な人のように思える作家さんたちも、やっぱりそうやって考えるんだな、と思えるのです。
制作者からすれば、そんな当たり前のことを、と感じもするでしょう。しかし通常、完成原稿しか見ていない私には、その日常の一言が、とても新鮮で、親近感がわくのですよ。さて、次の巻は、結局何色になったのかしら。今準備中ということは、少し先には発売ですよね。今から楽しみにしています。
メモから再現、過去の味
ついこの間、引き出しの中から、たくさんのメモ書きが出てきました。当時作っていた料理のレシピが書かれたものです。中には、今はもう作っていないメニューもあり、懐かしくなった私は、今一度この料理にチャレンジすることにしました。
しかしなにせ、レシピはとうに記憶の彼方です。こうなったらまるで初めて対面するかのように、メモに忠実に作っていくしかありません。ただ書かれたその内容が、けっこうざっくりしているのですよね。材料の分量も記載なし、はっきり言って、勘との戦いという感じです。この時私は初めて、レシピ本のすごさを実感しました。あれは丁寧なものを選べば、一工程ずつ写真が載っていますから、文章では理解が難しいことも、見たままなるようにすれば、そこそこ美味しいものができあがるのです。
さて、その後完成した料理は、まあまずくはないけれど、というレベルのものでした。作り方は覚えていなくても、舌に残る味の記憶は、もうちょっといいものだった気がするのですが。練習というか、慣れというか、とにかく作り直しが必要なようです。今度から、メモをとる時は、将来の自分に向けて手紙でも書くように、丁寧に記録をしておかないといけませんね。
おじいさんは四十歳?
昔話に登場するおじいさんやおばあさんの年齢を知る機会があったのですが、四十歳と聞いて、驚いています。現代で同じ年の人達は働き盛りで、おじいさんと呼ばれるふうには見えないからです。しかし具体的な年代はわからずとも、平安時代の寿命は三十歳、江戸時代でも四十歳と言われていることを考えれば、違和感はないのかもしれませんね。
そもそも時代によって、成人とされる年も異なっていますもの。今の日本では二十歳と決まっていますが、昔は十四歳とか、そのくらいでしたよね。今までストーリーばかり気にしていて、登場人物の詳細設定まで意識したことがなかったけれど、考え方や文化の違いがつまっていて、興味深いと思いました。外国の古い物語となると、なおさらいろいろ、違ってくるのでしょうね。
せっかくなので、こうやって好奇心を持っている時期に、昔話や伝承物語など、普段なかなか選ばない分野の作品を読んでみましょうか。きっと目から鱗の、新しい発見があるはずです。それならきっと、最初は定番の話がいいですよね。私が最初に買ってもらった絵本は、シンデレラだったのだけれど、それは既に原作を読んだことがあるので、別のものにしようと思います。
お勧め画面でリサーチ完了
家族がオンラインショップで本を注文すると言うので、私もついでに一冊、お願いしました。いくら以上は送料無料というサービスがあっても、その額に達しないと、損した気持ちになりますからね。こういう時ばかりは皆で協力して、お互いが欲しいものを一緒に注文するのです。
ただ使ったサイトには注文履歴が残るので、私や家族の履歴は、相当ジャンル不明なことになっているだろうなあ、という気はしています。おそらくはそのデータによってお勧め商品の案内も届いているのでしょう。一時期は、その欄が明らかに混乱状態になっていました。
私が好きなシリーズの書籍がある横に、家族が頼んだサスペンス映画のDVD関連が並び、さらには知り合いの子供に贈った車の玩具の新作がずらり。しかもなんとなくそれが気になってクリックしてしまうものですから、画面はさらに玩具が充実していきます。
そして遊びに来た子が、偶然私の部屋に入り、開きっぱなしのパソコンを指さして「パパ、これ欲しい!」と連れ立ってきた父親におねだりし……当然パパ、すなわち知り合いは苦笑い。わざとではないんです。まあ好みがわかったので、今度の誕生日プレゼントはこれにしよう、とリサーチが完了しましたけれどね。
初めてのTRPG、後に友人のチャレンジ
テーブルトークロールプレイングゲーム、いわゆるTRPGと呼ばれるゲームをしました。以前から興味はあったもののどんなものかは知らず、友達が誘ってくれたのを機に、参戦したのです。これはマスターと呼ばれる人の司会で、自分がキャラになり切って話を進めていくものなのですが、とっても面白いのですよ。他の初心者の友人含め、あっというまに夢中になってしまいました。
その時ご一緒したメンバーから聞いたのですが、このTRPGから派生して生まれたファンタジー小説というものが、昔あったらしいです。聞けば私も知っているような有名な作品で、すっかり驚いてしまいました。だって登場人物に、もとになった人物、すなわちなりきりのキャラクターがいるというんですよ。この間自分が演じたキャラが作品の中に出てきたらと思うと、ぞくぞくしてしまいます。
しかしそれなら逆に、小説や漫画の世界を借りてきて、ゲームを作ることもできそうですよね。誘ってくれた人に言ったら「それはかなり大変だろうけど、面白いかもしれない」と同意してくれました。しかも、その世界観を生かした話を考えてみるよ、とも言ってくれたのです。そんな楽しみがあるなら、いつまででも待ちますよね。今度の集まりが楽しみです。
四葉のクローバー専用書籍
もう読まなくなった古い本を使って、押し花をつくっている友人がいます。とくに植物に興味があったわけではなく、最初は、親せきの子に工作の授業で使うから、集めておいてほしいと言われ、散歩の途中で拾った紅葉を挟んでおいたのが、きっかけらしいです。それがあまりにもきれいだったため、いつしか習慣になったんですって。
今は、いい趣味を持った、と言いながら、季節ごとにたくさんの植物を集めています。中でも一番好きなのは、四葉のクローバーだそうです。日本では幸運を呼ぶといわれていますが、イギリスでは、妖精の悪戯から身を守ってくれるお守りの役目を果たしているのだと、以前、ファンタジー小説で読みました。そんな素敵なものを、彼女はもう何枚も持っているのです。
いつかの私の誕生日には、それで作ったしおりを贈ってくれました。もうだいぶ前のことなので、今はクローバーもすっかり色あせてしまいましたが、大好きな本を読むには、必ずそれを使っています。ファンタジー作品のときは絶対です。
ちなみに彼女がその本を押し花作り専用にしたのは、厚さがちょうど良さそうだったから、ということで、後に同じ本をもう一冊買ったというのですから、驚きです。好きな作品だったのですね。
レシピにまつわる母の思い出
母が、祖母から譲り受けたというレシピ本のページを繰っていました。もうすっかり古びたそれは、結婚が決まった時に祖母が買い与えてくれたものだそうです。目次には、定番料理が並んでいて、いかにも初心者向けといった内容なのも、納得できます。料理上手の母の起源はここにあるのか、と私は感心しました。
もちろん今、彼女がこの本を見ながら、台所に立つことはありません。家族が好むレシピは、自分なりのアレンジを加えたうえで、すでに頭の中に入っているからです。ちなみに祖母は、働き詰めで、家事は苦手だったのだとか。だから妻となり、いずれは母となる娘に、この本を送ったのですね。
ページをめくりながら、母はそのメニューにまつわる思い出も、次々に話してくれました。これはいつも失敗していたとか、生魚は、目が怖くて触れなかったとか。これは幼い私が好きだったとか。結局、今はこの本に付随する記憶が、何より大事なのでしょう。
いつかもっと年を取ったら、こんなことも忘れちゃうのかしら、とつぶやくので、それがないよ、と返しました。もう何度も聞かされている私が、内容をしっかり覚えているからです。料理はまだかなわないけれど、記憶力なら任せてというと、あなたは私より若いからね、と笑われました。